【神奈川さんぽ・横須賀】森のパワー満点の神社参拝

日本を歩く

ここではサトウが実際に歩いてわかった日本のいいところを、ちょっとした歴史や神社の話なども交えてご紹介していきます。なんか日本っていいな、と思っていただけたら嬉しいです。



前回前々回に引き続き、横須賀を歩いていきます。

動画にまとめたものはこちらです。


今回ご紹介するのは、以下の場所です。

かのう神社(東叶神社)
・浦賀の渡し
愛宕山あたごやま公園
・あたご和菓子店
・叶神社(西叶神社)
安房口あわぐち神社



今日は誉田別命(ほんだわけのみこと)という神さまがよく出てくるので、マメ知識を先にご紹介します。

マメ知識:
誉田別命(ほんだわけのみこと)とは、第15代応神おうじん天皇のことです。「八幡宮」とか「八幡神社」という名前の神社を聞いたことがあると思いますが、これらの神社にお祀りされている神さまは誉田別命(応神天皇)です。

例えば同じ神奈川で有名な「鶴岡八幡宮」も、京都の「石清水八幡宮」でも応神天皇がお祀りされています。

応神天皇の父は第14代仲哀ちゅうあい天皇、母は神功じんぐう皇后といいます。八幡宮や八幡神社には応神天皇とともに仲哀天皇、神功皇后が一緒にお祀りされていることもあります。また比売神ひめがみと呼ばれる女性の神さまもお祀りされていることがあります。

全国の神社の数は8万社(それ以上とも)といわれる中、八幡宮・八幡神社は4万社ほどあるといわれます。豆知識として覚えておくと役に立つかもしれません😊

ちなみに仲哀天皇のお父さんは日本武尊です。

マメ知識。神さまの名前は別名があったり、漢字が違ったりするのでややこしいですね。


今日も日本のいいところ、発見していきましょう。

叶神社(東叶神社)

観音崎大橋から叶神社(東叶神社)へ向かいます。2.2km、30分ほど歩きます。叶神社(東叶神社)と書きましたが、叶神社は東西に二社あり、この二社で一対の神社とされています。

観音崎大橋から歩いていると分岐点に出ますが、「久里浜・浦賀」方面へ行きます。



途中、鴨居かもい八幡神社がありましたので、寄り道しました。

冒頭のマメ知識でお伝えしたように、鴨居八幡神社も「八幡神社」という名前がつくため誉田別命(応神天皇)がお祀りされている神社です。

この鴨居八幡神社は三浦半島を本拠地としていた三浦氏が源頼朝の命を受け、鶴岡八幡宮を勧請*して創建されたそうです(1181年)。
*勧請:神さまの御魂を分けてもらって神社を建てること

マメ知識:
源頼朝の挙兵に加わったとして有名な三浦氏は、三浦半島(三浦郡)に住んでいたことから「三浦」姓を名乗りました。
三浦氏の守備範囲はこの三浦半島だけでなく、北は青森、南は九州まで及んだそうです。そのため三浦さんという名字が全国区なのです。
三浦氏は源頼朝を助けるために船で房総半島へ渡り、源頼朝と合流したといわれます。そのため、源頼朝が鎌倉入りした際には三浦一族が重臣として重用されることになりました。

こう考えると、三浦半島と房総半島は7kmほどと近いためか三浦半島は房総半島と歴史的なつながりがありますね。三浦氏も三浦半島から房総半島に渡っていますし、前々回にお話しした走水神社のご祭神、日本武尊も船で三浦半島から房総半島に渡ったのでしたね。

そして、今回の散歩の最後に訪れた安房口神社も房総半島と関わりがあるといわれていますので、後ほどご紹介します。



鴨居八幡神社から25分ほど歩きますと、叶神社(かのうじんじゃ)へ到着します。こちらは八幡神社という名前ではありませんが、ご祭神は先ほどから登場している誉田別命ほんだわけのみこと(第15代応神天皇)です。



拝殿は階段を上った先にあります。東叶神社も森の中にある神社で、自然のパワーを感じられます。

拝殿。



拝殿で参拝したあとは、この森の頂上にある「奥の院」に行くことをおススメします。拝殿に向かって左側に進むと階段がありますので、そこから向かうことができます。階段途中にはカフェがありますので休憩にもいいかと思います。今回は立ち寄りませんでしたが、見晴らしが良いそうで、安全・安心な素材で作ったスコーンなどが楽しめるそうです。

わりと長い階段です。中央左側に「MENU」と書かれた看板があり、左の道からカフェに行けます。



上の写真の階段を登りきると、一旦踊り場のような場所に出ます。そこからさらに階段があります。頑張って登りましょう。

結構長い・・・



頑張って階段を登りきると、奥の院をはじめとして神明社などのお社や勝海舟断食の跡などもあります。勝海舟はアメリカに渡る前に、ここで断食をして航海の無事を祈願したそうです。

右側のお社が奥の院。左側には神明社、東照宮。



奥の院の右奥に行くと、浦賀城跡があります。ここからの展望も非常によく、気持ちがいいです。ペリーの黒船はここから見える海の左側に停泊したそうです。



この森も非常に居心地がよく、神さまいるかも?と思うような森でした。トンビ(多分)にも遭遇しました。

トンビと思われる



森に囲まれた東叶神社、是非訪れてみてください。



次は小型船に乗りに行きます。


浦賀の渡し

叶神社からほど近くにある、浦賀の渡しという場所から小型船に乗ります。

乗り場



と、ここで左側を見ますと非常に気になる文字が。「吉田松陰」と書かれています。

ここは浦賀を代表する宿屋「徳田屋」があった場所だそうです。吉田松陰や佐久間象山が黒船を見聞するために宿泊したそうです。建物は残念ながら関東大震災により無くなってしまったとのこと。

実は私は吉田松陰が大好きなので、ちょっと余談をさせていただきます。

マメ知識(余談):
吉田松陰は、ペリー再来航時にアメリカに密航しようとしました。アメリカなど欧米に対抗する力をつけるためには、まず相手を知らなければならない。そのためにアメリカに渡ろうとしたのです。しかし、アメリカ行きの船に乗せてもらうことはできませんでした。当時密航を企てれば死罪が待っています。自首した吉田松陰は捕まり、江戸に送られます。その途中で、こんな歌を詠んでいます。

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

吉田松陰はもちろん、密航の企てが失敗すれば死罪になることはわかっていました。それでも日本のために行動せざるを得なかったのだ。それが大和魂というものなのだ。ということですね。このような強い決意で行動を起こしたのです。

吉田松陰はまた、牢屋に入れられていた時でも読書をしたといいます。この後死罪が待っているわけですから、普通であれば何もやる気が起きず絶望するような状況です。しかし吉田松陰は学びをやめず、欧米に対抗して日本を守り抜くことがいかに大事かを牢番に対して訴え続けたといいます。

実はこの時吉田松陰は死罪を免れ、野山獄に送られました。しかしそこに入れば生きては出られないといわれるような牢獄です。この絶望してもおかしくない状況で、またしても松陰は読書をします。そして教養のあった他の囚人たちを先生と呼び、俳句の会や書道の会を開いたそうなのです。松陰自らは囚人たちに孟子の講義などを行いました。一生牢屋から出られないとしても学び続けて人格を磨き上げようと、周りの囚人たちに教えたといいます。

こうした姿勢に、私は胸を射抜かれてしまい、以来私は吉田松陰がとても好きになってしまったのです。歴史上の人物に対する評価は人それぞれですが、私にとってはそこはあまり重要ではなく、この時代に命を懸けて日本を守ろうとした素晴らしい人がいたという事実が私にとっては重要なポイントです。なんだか、勇気が出てくる気がするのです。

もしかしたら「この人はすごいけど、私はそこまでできる人間じゃないし・・・」と思ってしまう人もいるかもしれません。ですが、私たちは皆「誰かのために何かしたい」「もっとよくありたい」という思いを持っている人間です。でもこれがなかなかうまくいかないから、悩んだり、最悪の場合にはダークサイドに落ちてしまう人もいるのだと思います。しかし、そうなってしまうのも、元々私たちは皆善人だからです。元々人間が悪い存在なのであれば、悩むこともないと思います。神社の教え(神道)では「人は皆パーフェクト」という考えをします。人は皆、完璧で善い人間ということです。そう思えないのは罪穢れがたまってしまうからで、それを祓えば元の完璧な状態に戻ることができる、といった考えなのです。

なので、私たちは皆、善い存在なのです。だから、このような偉人の話を聞いたのであれば「偉人と呼ばれる人とかけ離れている訳ではなく、自分にだって誰かのために何かしたい、という心を持っているよなぁ。」と今後の人生における自分の力にしたらいいと思うのです😊


さて、余談で暑苦しかったと思いますが、浦賀の渡し(小型船)に乗船します。愛宕丸、という名前だそうです。対岸まではたったの2~3分ではありますが、観光気分で船旅を楽しめます。


愛宕丸からの景色

東叶神社と西叶神社を行き来するのに便利です。

愛宕山公園

次は愛宕山公園に向かいます。入口が住宅街の中でちょっとわかりづらかったです。

愛宕山公園は標高60メートルくらいだそうです。また坂道を登っていきますが、階段はそこまで急ではありません。

今回はプチ山登りが多いです



自然がいいですね。



頂上に到着しました。見晴らしも良く、リフレッシュしました。

頂上からの景色



あたご和菓子店

愛宕山公園を下山し、途中あたご和菓子店さんに立ち寄りました。

店内はこじんまりしていますが、品の良さそうな和菓子が並んでいました。

季節柄、柏餅を購入。あと定番商品というお菓子も2点購入しました。

柏餅。草もちベースでした。
定番商品(名前を忘れてしまった)。ひと筋の赤い模様がアクセント。
お団子。こちらも確か定番商品だったはず・・・中に刻まれた栗が入っていました。

餡の味がやさしく、とてもおいしかったです。店員さんも優しい雰囲気でした。こういうお店が近くにあったらいいのにな、と思います。



西叶神社

次は西叶神社に向かいます。あたご和菓子店からは3分ほどです。

西叶神社はもともと京都の石清水八幡宮を勧請した神社だそうで、冒頭でご紹介した八幡宮の神さまがお祀りされています。

誉田別尊ほんだわけのみこと応神おうじん天皇)
比売大神ひめおおかみ
息長帯比売命おきながたらしひめのみこと神功じんぐう皇后)



拝殿に向かって右側には境内社があります。左の鳥居は福寿弁財天、左から二番目の鳥居の先には三峯神社・船守稲荷神社・大鷲神社・淡島あわしま神社、その隣の階段の上には金比羅こんぴら神社(拝殿の前まで行けませんでした)、その隣に武雄たけお神社、一番右の赤い鳥居が老山福寿ろうざんふくじゅ稲荷神社です。



私は購入しなかったのですが、西叶神社で勾玉を購入し、東叶神社で勾玉を入れる袋を購入すると完成する縁結びのお守りが人気だそうです。



安房口神社

叶神社から最後の目的地、安房口(あわぐち)神社に向かいます。三浦半島で最古の神社といわれています。日本武尊が東征の際に勝利祈願したと伝えられ、源頼朝なども勝利祈願で訪れたと伝わる神社です。

約2.6km、徒歩で40分ほどかかります。だいぶ疲れてきましたが、気合を入れて行ってみましょう。



少し海岸沿いを歩き、途中からは住宅街を歩くような感じでした。

海岸沿いの道はところどころにベンチがあり、休憩できます。左に見える黄色い屋根の建物はサーカスのようです。



住宅街の坂道を登って神社に行きます。



下の写真の階段を上った先に神社があります。ただ、この道は裏道だったようです。後ほど正面の道もお見せしますね。



階段を上る途中、右手には海が見えます。



階段を登りきると、鳥居が見えました!



安房口神社は社殿はなく、石がご神体として鎮座しています。安房国あわのくに洲崎明神(場所は今の千葉県、房総半島)というところに大きな石が二つあり、ある時その一つが海を越えてここまで飛んできたといわれています*。この石に天太玉命(あめのふとだまのみこと)という神さまが宿り、東国を守っているということのようです。岩や石を信仰することを磐座いわくら信仰といい、その岩に神さまをお招きしてお祭りを行う古代からの信仰の形です。

*千葉県の洲崎(すのさき)神社でもう一対の石を見ることができます。ここでも三浦半島と房総半島のつながりが見えましたね。

天太玉命は、天照大御神が岩戸に隠れたという神話で登場し、占いやお祭りのための道具を作り、お祭りを行った神さまです。占いの道具などを司ったことから、日本の全ての産業の神ともいわれます。



安房口神社は裏の道から入ってしまいましたが、正面の鳥居まで回ることが可能でした。



囲いでガードされていますが、正面にご神体の石があります。もっと近寄ったご神体の写真を載せるのは、なんとなく控えてみました。

正面にご神体の石があります。



この時も参拝者は誰もおらず、一人で森の神聖な空間を独り占めしました。樹木が力強い印象を受けました。ここもきっと神さまいますね😊

鳥居の右の枝分かれしたような木に見入ってしまいました
素敵な森



こちらが正面だったようです。

一の鳥居。


これで横須賀さんぽの目的地に全てたどり着きました。あとは馬堀海岸駅に戻って帰宅しました。

海の見える住宅街の坂道。



あとがき

今回の横須賀さんぽ、いかがでしたでしょうか。

今回訪れた神社は、本当にどれもステキすぎました。都会の中にある神社もいいのですが、地方の自然に囲まれた場所の神社は感じるものが違うなぁと思いました。

海岸も歩いていて気持ちよくて、また訪れたいなと思いました。

皆さまにとって何か新しい発見や、日本のことを知るきっかけが提供できていたらうれしく思います。

では、今回もご覧いただきありがとうございました!

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