【神奈川さんぽ・横須賀】走水神社で古代のロマンを味わう

日本を歩く


ここでは、サトウが実際に歩いてわかった日本のいいところを、ちょっとした歴史や神社の話なども交えてご紹介していきます。なんか日本っていいな、と思っていただけたら嬉しいです。



先日、神奈川県 横須賀市を散歩しました。



【海と緑の横須賀を楽しむ】というテーマでご紹介していきます。

横須賀市 マメ知識:
横須賀市は、三浦半島の中央部分を大きく占めており、東京湾相模湾に囲まれています。
東側には房総半島があり、距離的には7kmと意外と近いため、天気がよければ海岸から房総半島を望むことができます。

横須賀市の浦賀には皆さんご存じペリー率いる黒船が来航しました(1853年)。これにより200年以上続いた鎖国が終わりを迎えることになります。黒船が来航した当時、日本では大型船の製造が禁止されていました。そこにやって来たのは当時日本で製造が許されていた船の約19倍の大きさの船。当時の人たちはびっくりし恐怖を感じた人も多かったでしょう。
しかし庶民はたくましいもので、黒船を一目見ようと大勢の人が詰めかけたり、外国人相手に商売を始める人もいたそうです。ペリーは日本人のことを「探求心のある国民」「激しい好奇心を持つ」と表現していたようですが、まさにその通りですね。たくましく、好奇心があり、海外のものをうまく取り入れて独自に発展させる力のあるのが日本人。もちろん、現代に生きる私たちもそのDNAを受け継いでいるはずです😊



裏テーマは【日本武尊(やまとたけるのみこと)に思いを馳せる】です。日本武尊は全国にその伝説の跡が残っています。そして今回散歩した場所も、日本武尊なしでは語れません。日本武尊を知っておくと日本を楽しむことにもつながります😊名前くらいしか知らないな・・・という方は是非以下を参考にしてみてください。

日本武尊 マメ知識:
日本武尊は実在したかは定かではありませんが、日本神話が描かれている古事記や日本書紀に登場します。日本武尊が活躍したのは1~2世紀頃といわれています。日本武尊のお父さんは天皇でした(第12代景行けいこう天皇)。ただし、日本武尊は天皇にはなりませんでした。

あるとき日本武尊は景行天皇から東国の平定を命じられます。東国というのは大和(今の奈良県あたり)からみて東側の地域で、大雑把に今の関東周辺と思っていただけたらと思います。その東国平定の際に日本武尊はこの横須賀の地にも訪れたといわれています。

その際、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)という奥さんが一緒でした。そして日本武尊は横須賀の走水(はしりみず)という場所から船で千葉の房総半島に渡ろうとします。しかし海が大荒れになって船が沈みそうになります。そこで弟橘媛命は海を鎮めるために入水するのです。それで海が鎮まり、無事に房総半島に到着できたのです。

東国を平定した帰り道、日本武尊は弟橘媛命を思い出し、足柄峠(静岡)で「あづまはや(我妻よ)」と嘆いたので、足柄峠から東を「あづま」と呼ぶようになったともいわれます。いや、その場所は碓氷峠(群馬・長野の境あたり)だろうという説もあるらしく本当のことは分かりませんが・・・

これ以外にも日本武尊の伝説は各地に残っています。日本武尊は伝説上の人物といわれることもありますが、個人的には少なくとも日本武尊のモデルとなるような人物はいたのだろうなと思っています。もしくは本当に日本武尊は存在したのかもしれません。妄想が膨らみます。



今回の散歩では全部で14kmほど歩いたのですが、今回は最初の3分の1ほどの行程をご紹介します。馬堀(まぼり)海岸駅を出発し、馬堀海岸遊歩道、走水(はしりみず)神社へと向かいます。

今日も日本のいいところ、発見していきましょう。



馬堀海岸駅~馬堀海岸遊歩道

京急本線の馬堀海岸駅から出発し、馬堀海岸遊歩道へと向かいます。約10分ほどの道のりです。



途中、「馬堀海岸団地遊歩道」という道があります。4月中旬でツツジが非常にきれいに咲いており、早速寄り道をしました。

とてもきれいに整備された道で、ツツジが満開。



寄り道した後は、また海岸沿いに向かって歩きます。ヤシの木が見えてきますと、いよいよ海岸に到着です。

トロピカルな雰囲気が醸し出されています



海岸沿いに到着しました。景色が素晴らしい!なんだか海外にいるような気分になりました。



この時は朝7時半頃。ランニングやウォーキングしている人がちらほら、といった感じでしたがもう少し遅い時間になれば人も増えるのではないかと思います。

道がきれいに整備されており、これは確かに走りたくもなる!という道でした。近所にあったら毎日散歩に出かけてしまうかも。



鳥もいました。

カモ?かも・・・(名前がわからない)



永遠に眺めていられそうな海岸を後にし、次の目的地の走水神社へ向かいます。


走水神社

馬堀海岸遊歩道から走水はしりみず神社までは約2.7km。40分ほどかかります。



馬堀海岸遊歩道の終点からは、緩やかな上り坂。

走水神社への途中の道。道は整備されており、安心して歩くことができます。



途中、破崎はざき緑地展望デッキで小休憩。ここからの眺めも見ておきたいところ。

ベンチがあり、一休みできます。



しばらくすると、また海岸沿いを海を左手に歩くような道に出ます。



海岸沿いを歩いていると、「走水神社」と書かれた紫の旗が見えてきます。すると走水神社はすぐそこです。


【走水神社】
ご祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)

創建:日本武尊はこの走水に滞在し、ここを去る時に自分の冠を村人に与えたそうです。村人はこの冠を石櫃いしびつに納めて土に埋め、その上に社を建てたことが始まりです。後に妻の弟橘媛命も一緒にお祀りするようになったようです。



下の写真は走水神社の境内。ご覧の通り、森の中にある神社です。素敵ですよね。

森が美しい・・・



拝殿へは少し階段を上ります。夫を想い、自ら身を投げた弟橘媛命。そして妻を思いやる日本武尊。この夫婦愛の深さから、縁結びのご利益もあるといわれているそうです。

拝殿。日本武尊と弟橘媛命に思いを馳せてお参りしてみては?



走水神社はさらに上に登ったところにもお社があります。景色も素晴らしいので拝殿でお参りした後は、是非上に登ってみることをおススメします。

道は拝殿に向かって左側、別宮のある方向にあります。

別宮には弟橘媛の後を追って入水した侍女じじょ日本武尊に同行した武勇士(十王)がお祀りされている



少し坂道です。



途中に、弟橘媛命が海に身を投げる際に詠んだ歌が刻まれた記念碑があります。

「さねさし さがむのをぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と書かれています。

漢字で書くと少しわかりやすくなります。「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」

つまり「相模の野原で火に囲まれたとき、私を気遣ってくれたあなたよ(どうかご無事でいてください)」という意味です。

マメ知識:
「相模の野原で火に囲まれたとき」というのは、日本武尊と弟橘媛命が東征で通った相模で、国造くにのみやつこ(地方長官)に騙されて火を放たれるのです。日本武尊は持っていた剣で周囲の草を薙ぎ払い、窮地を脱しました(なのでこの剣は草薙剣くさなぎのつるぎといわれるようになったとか)。弟橘媛命はその時のことを思い出して歌ったのです。

夫の無事を願い、自らの命を懸けた弟橘媛命。悲しくも美しさを感じます。



そして記念碑の裏には、東郷平八郎とうごうへいはちろう乃木希典のぎまれすけらの名前が。

この記念碑は東郷平八郎らが発起人となって建てられました。除幕式にも参加されたそうです。

余談:
東郷平八郎と乃木希典は、日露戦争で活躍した英雄。当時誰もがロシアと日本が戦って日本が勝つとは思っていなかったといいます。このお二人がいなければ、日本は戦争で負けて植民地になっていたかもしれません。そうなれば現代においても有色人種を奴隷として扱う文化が続いていたかも、しれません。そう思うと、このお二人をはじめ当時日本のために戦ってくださった全ての人たちに頭が下がる思いがします。

ちなみに当時このお二人は英雄すぎて、ポーランドでは「トーゴー」や「ノギ」と名付けられた子どもたちがいたそうです。ロシアに苦しめられていたポーランドの人たちにとっても、日本が勝ったということで非常に勇気づけられたそうです。



記念碑を見終えたら、振り返って景色も堪能してみてください。

眺めがよく、清々しい気分になります。



そのあとはさらに上に登りますと、「神明社」と書かれた鳥居が見えます。



この先にはまず、日本武尊が東征成功祈願をしたという古代稲荷社が見えます。

古代稲荷社

「え?こんな石が並んでいるだけのものが神社なの?」と思われるかもしれません。しかし、もともと神社というのは今のような社殿があったわけではなく、自然を対象にお祭りをしていたのです。

山自体を御神体として崇めたり、この古代稲荷社のように石を御神体としていました(現代でもそのような神社はあります)。時代とともに、社殿を建てて神様をお祀りするようになったという経緯があります。

ですから、これは本当に貴重な古代から存在する神社なのです。日本武尊は1~2世紀頃の人物といわれていますから、この現代まで昔のままの形が残っているのはすごいことです。日本の歴史の長さを感じ、神社を守ってきた人々に感謝の気持ちが芽生えますね😊

マメ知識と余談:
日本は2600年以上の歴史があり、世界一長い歴史を持つといわれています。日本の建国は初代神武じんむ天皇が即位された年(紀元前660年といわれています)です。その年に創建されたという神社が今も残っていますし(例えば茨城県の鹿島神宮)、もっと古いといわれる神社もあります。

神社は遺跡ではなく、今もなお神職さんの手によって管理され、そこに神さまが生き続けています。これだけ長い間、先人たちが守り続けてきたというのはすごいことですよね😊

「神社がおままごとだったら、とっくに無くなっていますよ」と、とある神職さんがおっしゃっていたのですが、本当にそう思います。言葉では説明できませんが「何か」があるから、現代でも8万社以上の神社が生き続けているのだと感じます。神さま、といっても信じない人が多い現代ではありますが、神さまをお祀りしている神社が形だけのものだったならば、「そんなもの失くしてしまえ」と、とっくに誰かがなくしてしまったでしょう。
会社でも意味がないのに習慣だからという理由で続けられている習慣があったりしますよね。でもどこかの時点で誰かが「意味がないならやめましょう」と変えていくはずです。でも神社はこれだけ長い間ずっと続いている。ということはやはり神様の力とかそういう「何か」があるのだろうなぁ・・・と妙に納得してしまいました。



古代稲荷社の上の方には、神明社、須賀神社、諏訪神社があります。

こじんまりとはしていますが、素敵なお社です。

マメ知識:
神明社しんめいしゃという名前の神社は全国にありますが、神明社には「天照大御神あまてらすおおみかみ」がお祀りされています。また、須賀すが神社も全国に存在しますが、こちらは「須佐之男命すさのおのみこと」という神さまがお祀りされています。そして諏訪すわ神社も同様に全国にありますが、どの諏訪神社も「建御名方神たけみなかたのかみ」という神さまがお祀りされています。このように、神社名でお祀りされている神さまがわかる場合も多々あります。

神社によって神さまって違うの?と思われた方は以下も参考にしてみてください。



そしてここから見る景色がまた良いので、ぜひじっくり堪能してみてください。



走水神社は個人的に本当におすすめです。

この神社の森が素晴らしくて、トトロでも出てくるのではないかと思いました。

他に人が誰もいないのに、なんかカサカサ音がする、と思ったらリスがいたり・・・(写真は撮れませんでしたが)

ずっとここにいたい、と思うような豊かで心地の良い森を堪能でき、心も体もリフレッシュできました。


あとがき

海と緑を楽しんでいただけましたら幸いです。また、日本武尊の話も取り入れてみましたが、この横須賀さんぽではまだ日本武尊が登場する予定ですので、お楽しみに。

次回は、走水神社から観音崎公園へ向かいます。こちらも見どころ満載でしたので、また後日投稿したいと思います。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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