ゆる散歩02【皇居 乾通りとその周辺】

こんにちは。サトウです。

春と秋の一時期だけ一般公開される皇居のいぬい通りに行きたくて、散歩コースを組みました。

虎ノ門ヒルズ駅から出発し、皇居を通ってまた虎ノ門ヒルズに戻ってきて新橋でゴール、という12kmほどの散歩です。

東京散策が楽しくなるような知識も交えながらご紹介します。

一緒に散歩している気分で見ていただけたら嬉しいです。


散歩コース詳細

虎ノ門ヒルズ(駅)【スタート】
⇩0.5km
愛宕あたご山(愛宕神社)🏕️プチ山登り
⇩1.2km
日比谷公園(つつじ山、三笠山)🏕️プチプチ山登り
⇩1.0km
スターバックスコーヒー 皇居外苑 和田倉わだくら噴水公園店
⇩2km
皇居 乾通り
⇩1.5km
千鳥ヶ淵
⇩1.5km
平河天満宮
⇩1.3km
日枝神社🏕️プチ山登り
⇩1.0km
虎ノ門 金刀比羅宮ことひらぐう
⇩0.5km
虎の門ヒルズ
⇩0.5km
新生堂しんしょうどう(和菓子屋さん)
⇩0.3km
日比谷神社【ゴール】


欲張って、12か所もまわります。

では、行ってみましょう。


虎の門ヒルズ駅

虎の門ヒルズ駅からスタートです。

駅のホームを降りる階段で、トラのもんくんがお出迎えしてくれました。

かわいい

虎の門ヒルズ駅から愛宕山に向かいます。

愛宕山(愛宕神社)

虎の門ヒルズ駅から愛宕山までは徒歩5分ほどです。

愛宕山入口。左には東京タワーが見えました。


愛宕山は、実は東京23区で一番高い自然の山です。

標高25.7m、高低差21m。

都会のど真ん中でちょっとした登山が楽しめます。

<余談>
東京には、23区最高峰の愛宕山をはじめとした”超低山”が多くあります。
例えばこのあとご紹介する日比谷公園の三笠山や、新宿には山手線内最高峰の箱根山などがあります。
高さ5メートルくらいの山でも、意外と高いところから見渡す景色は良いものだな~と思うようになり、山にハマりそうです。

参考:東京 街なか山さんぽ 地形と歴史を楽しむ超低山ガイド|江戸楽編集部


さて、愛宕神社の鳥居をくぐると「出世の石段」があります。

昔、徳川家光がこの山に咲く梅の花を見て、家臣たちに馬に乗って梅の花を取ってくるように命じたのです。

急な坂に誰もがしり込みする中、名乗り出たのが「曲垣平九郎(まがきへいくろう)」という人で、見事に任務を果たし、家光から「日本一の馬術名人」とたいそう褒められたのだそう。

それでこの坂は「出世の石段」と呼ばれるようになったそうです。

左が急な男坂、右がゆるやかな女坂。男坂の上には鳥居が見える。


愛宕神社

私も出世の階段を上り、愛宕神社にお参りします。

拝殿
曲垣平九郎が徳川家光に献上したという梅。 梅の季節でもなんでもないときに撮りました。


境内の雰囲気をお裾分け。


愛宕神社は徳川家康の命により、建立された神社です。

防火の神様として火産霊命(ほむすびのみこと)がお祀りされています。


愛宕神社の総本宮(おおもとの神社)は京都にあります。

この京都の愛宕山は標高924メートルとのことで、23区の愛宕山とは桁が違いますね。

総本宮も、いずれ訪れてみたいと思います。

次は、日比谷公園でつつじ山と三笠山に登ります!


つつじ山

愛宕神社から800mほど北に進み、日比谷公園を目指します。

この時は3月末。ちょっとせっかちな桜の花がちらほら咲き始めた、という感じでした。

日比谷公園。都会の中の、落ち着ける公園。

さっそくつつじ山を探します。

案内板にはつつじ山の表示があったものの・・・

下の写真が雲形池なはずなので、その後ろがつつじ山だったのだと思うのですが、気がつかず通り過ぎてしまったようです。

案内板を見返せばわかったはずなのですが(;´∀`)

この後ろにつつじ山があるはず・・・



三笠山

気を取り直し、三笠山を探します。

三笠山は、テニスコートの隣にありました。

三笠山をお探しの際は、テニスコートを目印に。
三笠山 登山口。

三笠山は高低差9メートル。

1分もかからず登り切りました。

三笠山頂上。鳩の居城。

鳩たちと一緒に朝日を堪能しました。

【余談】
三笠山で思い出したのですが、遣唐使として唐に渡った阿倍仲麻呂が詠んだ「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に でし月かも」の”三笠の山”は奈良県の春日大社の裏にある、御蓋山(みかさやま)を指します。
30年ほど過ごした唐での生活を終え、日本に帰国するとなった時に月を見上げ、「この月は故郷の三笠山から見えた月と同じものなのだなぁ」と詠ったそうです。
結局暴風雨に会い、日本への帰国がかなわなかった阿倍仲麻呂ですが、唐に戻り活躍されていたそうです。どのような思いで残りの人生を過ごしたのでしょう。すっかり唐の生活に馴染んでいたので、意外と居心地がよかったりしたのでしょうか。それとも日本を恋しく思って悔しかったのでしょうか・・・



スターバックス皇居外苑 和田倉噴水公園店

次は、皇居外苑のスターバックスに向かいます。

実は今日は、皇居いぬい通りの公開日。

乾通りは春と秋の年に2回の一定期間だけ一般公開されます。

乾通りの入場は朝の9時からなので、スタバで休憩します(このとき朝7時過ぎ)。




このスタバ限定のフラペチーノがあり、ずっと気になっていたのです。

それがこちら、和三蜜 アーモンドミルク フラペチーノ。

アーモンドがトッピングされている。

甘いけど、甘すぎないほどよい感じでした。

アーモンドがアクセントで、とてもおいしかった。

もし仮に近くのスタバでも販売していたら、他のフラペチーノではなくこちらを選ぶと思います。


乾通り

8:30過ぎにスタバを出て、坂下門へ向かいます。

坂下門へ向かう途中

途中、荷物検査とボディーチェックがあります。

検問を無事クリアすると、坂下門から乾通りに入ることができます。



坂下門をくぐりましたら、宮内庁が見えます。

左の建物が、宮内庁。



乾通りでは、咲き始めている桜も見ることができました。



乾通りのダイジェスト動画です(つなぎ合わせただけなのでお見苦しいですが)

皇居はやはり清々しい気分になります。

秋の紅葉の季節に、一般公開があると思うので、また来てみたいです。



千鳥ヶ淵

さて次は東京で一番の桜の名所、千鳥ヶ淵ですが・・・

この日は桜には早かったです。

桜皆無。
桜皆無。
つぼみが開きたいと言っています



ということで、どうしても桜が見たくて後日リベンジしました。

天気は曇りでしたが、ほぼ満開でした。

ほぼ満開!
ボートで花見を楽しむ人も。

東京の桜の名所です。

機会があれば是非行ってみてください。


平河天満宮

さて、次は平河天満宮を参拝します。

なぜここに行こうと思ったかというと、塙保己一(はなわほきいち)という

江戸時代の盲目の学者さんが足繫く通っているということを知ったからです。

塙保己一は、あのヘレン・ケラーが尊敬していた人でもあります。

ヘレン・ケラーは母親から、日本には盲目でも立派な学者になった人がいる、と聞かされたそうです。

実際に、ヘレン・ケラーは昭和12年(1937年)4月26日に日本に来日し、渋谷にある塙保己一資料館(温故学会会館)を訪れています。

余談:温故学会会館は、渋沢栄一などの尽力により建てられました。



また、塙保己一の出身地である埼玉県で講演も行っており、このように話していたそうです。

「日本に行ったら、必ず埼玉を訪問したいと長い間思っていました。それは、私が人生の目標として苦しく、辛く、くじけそうになったときに心の支えとした人が、この埼玉ゆかりの人物であったからです。」

塙保己一はそれほどまでにすごいことを成し遂げた人だったのですが、日本人の間ではあまり有名ではないのですよね。

私自身も、日本の偉人物語④を読んで知ったのです。



さて、塙保己一が何をした人かといいますと、古い書物の文献集を作った人です。

当時、日本の古典や古文書こもんじょなど貴重な資料は一か所にまとめられて管理されていたわけではなく、様々な人の手に渡って各地に散らばっていたり、寺社に埋もれて誰にも読まれないといったものが多かったのです。

それを集めて、分類・整理して、どの文献がどこにあるかをまとめておきましょうよ、と。

今風にいうと、アーカイブを作ったのです。

ばらばらになっている大量のデータ(昔の貴重な資料)を収集し、整理し、分類し、保存する。

こうしておくと、誰かが「この文献が見たいな」と思ったときに、このアーカイブから情報を探すことができて便利ですよね。

このような大量のデータ保存を、江戸時代なので機械に頼らずすべて手作業で成し遂げたのです。



おそらく、私たちが思っている以上に大変な作業だと思います。

当時は資料を集めるのも一苦労です。

まず弟子たちを各地に派遣して文献の調査をして、当時は印刷機もpdfもないですから、文献を手書きで移しとるのです。

これだけでもとてつもない労力と時間が必要です。



そして、塙保己一はその文献をすべて暗記するのです。

目が見えないので本は誰かに読んでもらわないといけませんが、一度読んでもらえば覚えてしまうという超人だったのです。

その能力を生かして、例えば似たような文献があったら比較してどちらを文献集に残そうかと頭の中で検討したのでしょう。

こうして文献を全て記憶し、取捨選択と校正なども行いました。

それから分類をします。これは神道に関わる文献、これは伝記に関わる文献、これは和歌に関する文献、、などというように。

そうして18年をかけて全666冊の文献集を完成させました。

この文献集を『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』と呼びます。

途中、火災で蔵書・版木(印刷のために文字を刻んだ板)が燃えてしまうなどのトラブルもありながら、長い年月をかけてやり遂げたのです。

そんな塙保己一が通っていた神社が、麹町にある平河天満宮なのです。

21歳の時に京都の北野天満宮に参拝し、その時に生涯天神信仰(菅原道真公)を貫くと決めたそうです。

余談:「天満宮」「天神社」と名前のつく神社は菅原道真公をお祀りしています。

そして塙保己一は平河天満宮に、一日も欠かすことなく通ったそうです。

江戸時代の人は神仏への信仰が現代よりもずっと篤かったといわれますが

特に国学者である塙保己一は、天皇に忠節を捧げた菅原道真公を特に篤く崇敬していたようです。


最近、日本の偉人の話をよく読むようになったのですが、神道・国学(古代文献に基づいて、日本の古代文化・文学を明らかにするもの)に行きついている人が多いなと感じます。

今思いつくのは塙保己一の他に、吉田松陰、島津斉彬などですが、天皇を中心とした国家の在り方を特に大切にしていたように思います。尊皇心が強いのです。

ちょっと余談:
尊皇、というとちょっと抵抗がある人もいるかもしれません。
私自身も昔は「尊皇」と聞くと、なんとなく過激で危険なイメージを持っていました。
でも、そんなことは全くないのです。

そもそも日本という国は、国民が天皇を尊敬するシステムで成り立っているのです。
天皇は「権威」はありますが、「権力」を持ちません。
でもその権力をもたない天皇が国のトップにいるからこそ、日本という国が世界最古の国として2,600年以上も続いてきたのです。

世界の歴史を見ていくと、色々な国ができては滅びていきました。
それは権力を持つ人がトップに立って、国民を所有物として扱うようなシステムであることが大きいと思います。
特にシナ(今の中国の辺り。※差別的な表現として使っているのではありません)では、権力を握る支配者が国民を所有物として扱ってきました。だから例えば支配者が「自分に逆った国民は皆殺しにする」と言ったら本当にそうなるのです。所有物なので、そうしていいんです。

一方で、日本という国は、権力を持たない天皇が国民を「宝」として考えてくれるのです。常に国と国民が安らかであるように、と祈ってくださっています。
トップの下にいる人が政治を行う、というような形をとっているのです。
なので、トップの存在である天皇と国民は対立することがありません。

天皇は「無私」の心で常に国民を想ってくださっている訳ですから、対立どころかむしろ国民には天皇に対する感謝と尊敬が生まれるのです。
そして権力者が天皇の地位を奪うことも起こらなかったのです。
仮に奪おうとするならば、国民がそれを許さない、という信頼関係で成り立つ奇跡のようなシステムなのです。

こういったシステムがあるから、日本は他の国よりもケタ違いに長く続いている国なのです。
尊皇は別に過激な考えでもなんでもなく、むしろ日本人として当たり前というか自然と沸き起こってくる気持ちなのかなと思います。

こう言っている私ですが、昔は天皇が何をしている人なのかも知らなかったのです汗
しかし今は、天皇に対して尊敬の気持ちが自然とこみあげてくるようになりました。


塙保己一も、天皇に忠節を捧げた菅原道真公を尊敬し、毎日平河天満宮で祈りを捧げていたのですね。

ということで、私も平河天満宮に行ってみたくなり、今回訪れてみました。

千代田区という東京ど真ん中にありながら、神社は大きい通りから一本入ったところにあるので、落ち着いて参拝ができました。

私も、塙保己一先生のように頑張ろうと誓ってきました。




日枝神社

次は日枝神社に向かいます。

こちらも東京ど真ん中の神社です。

山の上にあります。星ノ山というらしいです。

高低差は調べてみたのですがわかりませんでしたが、先ほどの愛宕山よりは低いと思います。

階段も、愛宕山よりはゆるやかで登りやすいです。

階段を登らずとも、エスカレーターで登る道もあります。



高層ビルが立ち並ぶ中にある、都会の神社。

ご祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)。

山の神、農耕の神といわれています。

ご参考(「日本の神さまと神社」さんより)

大山咋神(おおやまくいのかみ)はどんな神様?ご利益と神社紹介
大山咋神(オオヤマクイノカミ)のご利益やどんな神さまなのかをまとめました。祀られている神社も掲載しています。農業、醸造酒語の神で、丹塗矢伝説で有名な神様です。



日枝神社の特徴といえば、お猿さん。

神社って狛犬のイメージがありませんか?

多くの神社は狛犬がいるところが多いですが、神社によっても異なります。

日枝神社は神猿(まさる)と呼ばれるおさるさんがいます。

日枝神社

日枝神社にはキャラクターがいて、「まさるくん」といいます。


余談:
狛犬や神猿などを「神使(しんし)」といいます。神さまのお使いです。
稲荷神社のキツネも神使であり、キツネの神さまではありません。

日中に行くと、観光客が多くちょっとガヤガヤとしていますので

落ち着いて参拝されたい方は、朝一がいいかと思います。




宝物殿には太田道灌の像があります。

太田道灌の像が見える。中は撮影禁止でした。

太田道灌は江戸城を築城した人です。

私は江戸城は徳川家康が築城したと思っていたのですが汗、太田道灌により1457年に築城開始されたとのことです。

その際に川越山王社から分祀して日枝神社を建てたそうです。




虎ノ門 金刀比羅宮

次は虎ノ門 金刀比羅宮(ことひらぐう)に向かいます。

こちらも都会のビル群の中に突如現れる神社です。



四神しじん青龍せいりゅう朱雀すざく白虎びゃっこ玄武げんぶ)が装飾されている、珍しい鳥居。

ご祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)崇徳すとく天皇

「こんぴらさん」でおなじみの香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)が、全国の金刀比羅宮ことひらぐう金刀比羅神社ことひらじんじゃの総本社です。

そのため、「金刀比羅宮」とか「金刀比羅神社」という名前の神社は、大物主神(と崇徳天皇)がお祀りされています。

大物主神は、大国主神の和魂にぎみたま(神さまの穏やかな側面。荒々しい面を荒魂あらみたまという)であるともいわれているため、ご祭神は「大国主神」と書かれている神社もあります。

崇徳天皇は、75代天皇。保元ほうげんの乱(1156年)で讃岐国さぬきのくにへ送られることになり、そこで香川の金刀比羅宮を篤く崇敬していたことから、一緒にお祀りされるようになったそうです。


虎の門ヒルズ

さて、虎ノ門まで戻ってきました。

虎ノ門ヒルズ ステーションタワーに行きました。

ここに来た理由は、トラのもんグッズを買うためです。

ネットで見て、買いたくなってしまいました。

虎ノ門ヒルズ ステーションタワー 2Fに小さな売店があり、そこで購入しました。

トラのもんロルバン(ノート)。

かわいい

満足しました。


新正堂

本当は虎ノ門ヒルズで散歩終了にしようと思ったのですが、どうしても和菓子が欲しくなり、新橋の新正堂(しんしょうどう)さんへ行きました。

この有名な「切腹最中」を買うためです。

すごい名前。

ビックリな名前ですが、このインパクトでとても人気のある和菓子屋さんです。

あんこがたっぷりのお菓子が、新正堂さんの特徴です。

切腹最中はあんこの中にさらに求肥が入っていて、これがまたいいのです。


「うふふどら焼」も買いました。

一枚皮のどら焼。

確かに、うふふと言いたくなるほどあんこたっぷりで

そのあんこを皮が優しく受け止めています。

おいしかったです。また近くを通ったら買いたいです。




日比谷神社

こちらも計画に入れていなかったのですが新橋まで来たからには、日比谷神社に立ち寄ります。

道路の向かい側の赤い鳥居が日比谷神社です。疲れていて写真を撮る気力がありませんでした

日比谷神社は、新橋駅近くにあるこじんまりとした神社ではあるのですが、

祓戸大神(はらいどのおおかみ)がお祀りされているためについ行きたくなります。

ご祭神は、

・豊受大神(とようけのおおかみ)←伊勢の神宮の外宮の神さま

・祓戸大神(四柱)
 ・瀬織津比賣大神(せおりつひめのおおかみ)
 ・速開都比賣大神(はやあきつひめのおおかみ)
 ・気吹戸主大神(いぶきどぬしのおおかみ)
 ・速佐須良比賣大神(はやさすらひめのおおかみ)

です。


祓戸大神というのは、あらゆる罪・穢れを祓ってくれるといわれる神さまです。


私は日頃、大祓詞(おおはらえことば)という祝詞のりとを毎日声に出して読むようにしています。

というのも、群馬にある渋川八幡宮の宮司の小野善一郎さんという方が、大祓詞をおススメしていたからです。

大祓詞を読めば、罪穢れが祓えちゃう、らしいのです。

神道では「人はもともと完璧な存在」と考えます。

究極の性善説、と表現している人もいました。

人はそのままでパーフェクトなのだけれど、生きていると知らず知らずのうちに罪穢れがたまってしまう。

だから「罪穢れを祓うこと」が大事なんですよ、という考えなのです。

私はこの神道の考え方が好きです。昔は人は罪深いものだと思って生きてきたのですが

人は皆パーフェクト、という考え方を採用するようになって、明るく生きられるようになった気がします。


神社では、6月と12月に大祓式といって、半年間の罪穢れを祓う式が行われています。

その時期に神社で下の写真のような茅の輪を見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。

茅の輪をくぐって罪穢れを祓うことができるのだそうです。

大祓の時期には、茅の輪を設置する神社も多い。

このように、神道では「おはらい」が非常に重要視されています。

そして日常的にできるお祓いの方法として、大祓詞を読むことがあるのだと私は理解しています。


その大祓詞に四つ柱の神さまが出てきて罪穢れを祓ってくれるのです。

瀬織津比賣大神(せおりつひめのおおかみ)は、罪を大海原に押しやってくれます。

速開都比賣大神(はやあきつひめのおおかみ)は、その罪をがぶがぶ呑み込んでくれます。

気吹戸主大神(いぶきどぬしのおおかみ)は、その罪を黄泉の国に吹き放ってくれます。

そして速佐須良比賣大神(はやさすらひめのおおかみ)が、どこともなくその罪を消し去ってくれます。

このようなコンビネーションで、罪を祓ってくれる神様なのです。


その部分が読み上げられているところが以下の動画です。(小野善一郎先生)



このような大祓詞は、祝詞(のりと)と呼ばれる神様に奏上する言葉なのです。

日本語、って不思議なんですよね。「あいうえおかきくけこ・・・」という五十音図を何度も何度も読むだけで心身が健康になるという人もいるらしいです。

祝詞を読んで育った子どもは、精神的に落ち着いて育つ?とも聞いたことがあります。(ただしどこで聞いたのかも覚えていないので、話半分でとどめてくださいね)


私も毎朝この大祓詞を読んで心を整えて一日をスタートさせるのが日課になっています。

この神さまたちがお祀りされている神社もあまりないので、貴重です。

そのため、新橋近くに来るとこの日比谷神社にお参りしたくなるのです。




あとがき

さて、今回は約12kmの散歩コースを歩きました。

東京散歩に行ってみたい、と思っていただけたら幸いです。




また一緒に散歩できたらと思います。

では、本日もありがとうございました!

コメント

タイトルとURLをコピーしました