神話を知ると参拝は100倍楽しい【古事記 上巻その3】

こんにちは。サトウです。

今日の雑談は【神話を知ると、参拝は100倍楽しい~古事記 上巻かみつまきその3~】です。

上つ巻の最終回です。


前回の神話を知ると参拝は100倍楽しい【古事記 上巻その2】では、出雲大社のご祭神・大国主神おおくにぬしのかみが試練を乗り越え、国造りを行いました。

その後、天上の神さま(天つ神あまつかみ)の依頼により、大国主神が国の統治を譲るところまでをご紹介しました。

今回は、ついに天つ神が地上に天降ってくるところからのお話です。


天孫降臨(てんそんこうりん)

天孫降臨とは、照大御神のが地上に降臨・・するということです。


前回、大国主神が国の統治を、天つ神に譲ることを決意しました。

いよいよ国譲りが実現すると報告を受けた天照大御神は、御子である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に「地上(葦原の中つ国、という)を統治しなさい」と命じました。

しかし、天忍穂耳命は「準備をしている間に子が生まれましたので、この子を送るのがよいと思います」と答えました。

その子どもが邇邇芸命(ににぎのみこと)です。


ちなみに、あとで初代天皇である神武天皇の話が出てくるのですが

神武天皇は、邇邇芸命のひ孫にあたります。


邇邇芸命は天照大御神の孫でしたね。

なので、神武天皇は天照大御神の血統であるといえます。

そして、その血統が今上きんじょう天皇(現在の天皇のこと)まで続いているといわれています。

下の図を見ると、少し整理できるかもしれません。

現在の天皇は、126代目。

神武天皇が即位されてから2600年ほど、日本という国は一度も滅ぼされず植民地にもならず今日まで続いています。

これだけの歴史を持つ国は他にないのです。

本当に日本は神さまに守られているのではないか、と思ってしまいます。

そして、日本を守ってきた先人たちのおかげですよね。

すごく余談ですが

昔私は日本が好きじゃなかったのです。

しかし最近は神社や日本のことを知るたびに本当に日本が貴重な存在で

とても大事に思えてきて、神さまも含め先人たちにありがとうございます、

という気持ちが芽生えてくるようになりました。

愛国心、というと過激な人みたいに思われるかもしれませんが

普通に「自分の国が好き」と言えるようになったことが幸せだなと思うようになりました。

自己肯定感もなんか上がったような?気がします。



更に余談ですが、

2番目に歴史のあるといわれるデンマークでも国としての最古の記録は965年だというので、2位とはいえ日本の歴史とはかなり差がありますね。


さて、こうして邇邇芸命は地上の統治を命じられることになります。

その際、天照大御神は三種の神器(八咫やたの鏡、八尺瓊やさかにの勾玉、草薙くさなぎつるぎを邇邇芸命に授け、送り出します。

そしてお供には、
・天児屋命(あめのこやねのみこと)
・布刀玉命(ふとだまのみこと)
・天宇受賣命(あめのうずめのみこと)
・伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)
・玉祖命(たまのやのみこと)

などの神さまを一緒に天降らせました。

イントロ編でも少しお話ししましたが、天児屋命は、藤原氏の祖神おやがみといわれている神さまです。

藤原氏以外にも、というか日本人は過去を辿ればみんな神さまに行きつくんですよね。

人の遠い祖先が神さまだ、というのは日本の特徴的なところです。

私たちは皆、神さまの子孫なんですよね(信じる信じないは別として)。


そしていよいよ邇邇芸命らが地上に降りようとしたその途中、待ち構えている神さまがいたといいます。

天宇受賣命が誰なのかと尋ねると、国つ神の猿田毘古神(さるだびこのかみ)だと言います。
(猿田彦珈琲の名前はこの神さまが由来)

猿田毘古神は、天上の神さまが天降ってくる予定だと聞いて、先導をしようと待っていたのです。

こうして猿田毘古神の先導で、天つ神は地上へと向かうのです。


邇邇芸命が降り立った場所は日向国ひむかのくに(南九州)の高千穂。

そこに立派な宮殿を建ててお住まいになったといわれます。

高千穂の場所は、鹿児島県の霧島連峰の高千穂峡とする説、宮崎県の高千穂町とする説の二つがあるようです。




猿田毘古神と天宇受賣命

邇邇芸命の命により、天宇受賣命は猿田毘古神を故郷の伊勢へ送っていきました。

そして、猿田毘古神の名前を受け継ぎ、猿田毘古神に仕えることになりました。

このことから天宇受賣命の氏族は猿女君さるめのきみと呼ばれ、大嘗祭などの祭祀を行う役割を果たすようになりました。

しかし比較的早い時期に没落してしまったといいます。



天宇受賣命は猿田毘古神を送ったあと、伊勢の海の魚介類たちをあつめて「お前たちは天照大御神にお仕えするか」と尋ねます。

この時、ナマコ以外の魚はお仕えすると答えました。

しかし、ナマコは何も言いませんでした。

すると、天宇受賣命は「この口はものを答えない口」と言って、小刀でその口を切ってしまいました。

それでナマコの口は裂けているのだといいます。


さて、猿田毘古神ですが、この神さまは一睨みで悪いものを追い払ってしまうという強い神さまなのですが

ある日海で漁をしていたら、貝に手をはさまれて溺れて海に沈んでしまった、

というちょっとおっちょこちょい、というかユニークなエピソードがある神さまです。

海の底に沈んだ時の名前を「底度久御魂そこどくみたま」というそうです。


この猿田毘古神と天宇受賣命が一緒にお祀りされている神社として私が真っ先に思いつくのは

千葉県銚子市の猿田(さるた)神社です。

ご祭神は、
・猿田彦大神 (さるたひこおおかみ)
・天鈿女命 (あめのうずめのみこと)
・菊理媛命 (くくりひめのみこと)

であり、猿田彦大神とは猿田毘古神と同じで、天鈿目命は天宇受賣命と同じです。

(同じ神さまでも古事記と日本書紀などで神さまの名前や漢字が異なることがあるのでちょっと紛らわしいですね)


神話を知っていると、猿田彦大神と天鈿目命が一緒にお祀りされているのも納得できますよね。




邇邇芸命の結婚

さて、邇邇芸命はある時、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)という神さまに出会います。

木花之佐久夜毘売は、非常に美しい神さまだといいます。




この木花之佐久夜毘売に、邇邇芸命は求婚します。

すると木花之佐久夜毘売は「父の大山津見神(おおやまつみのかみ)が答えるでしょう」と言いました。

結婚の申し込みに喜んだ大山津見神は、木花之佐久夜毘売の姉の石長比売(いわながひめ)も一緒に送り出しました。

しかし、石長比売はとても醜かったそうで、一目見て恐れをなした邇邇芸命は石長比売を大山津見神の元へ送り返してしまうのです。

これを恥じた大山津見神は、このように言います。

「娘二人を一緒に送り出したのは、石長比売が一緒であれば、天つ神の御子の寿命は雪が降り風が吹いても岩のようにゆるぎない永遠のものになるだろう、また木花之佐久夜毘売が一緒であれば桜のように栄華を極めることでしょう、と思ってのことだった。しかし石長比売だけを返してきたということは、天つ神の御子の命は木の花のようにもろくはかないものになるだろう。」

このことがあって以来、天皇は永遠の命を失ってしまったといいます。


一方、木花之佐久夜毘売も大変です。

邇邇芸命との子どもができたのですが、一晩の契りだっただめ、邇邇芸命に自分の子どもではないだろうと疑われてしまったのです。

すると、木花之佐久夜毘売は「天つ神の子であれば、無事に生まれてくるでしょう」といって、炎の中で子どもを生みます。

燃え盛る中で生まれた子どもは「火照命(ほでりのみこと)」。次に火須勢理命(ほすせりのみこと)、また次に火遠理命(ほおりのみこと)といいます。

このように木花之佐久夜毘売は炎の中で無事出産したことから、安産の神といわれたり、火難消除かなんしょうじょのご利益があるといわれています。


ところで、浅間(せんげん)神社という名前の神社を聞いたことがありますでしょうか?

静岡と関東に多い神社ですが、この浅間神社のご祭神は、木花之佐久夜毘売です。

浅間神社の総本宮(おおもとの神社)は富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃです。





海幸彦と山幸彦

浦島太郎のモデルとなった話ではないか、といわれるのが海幸彦・山幸彦の話です(諸説あるようですが)。


木花之佐久夜毘売が生んだ火照命ほでりのみことは海の幸を獲るために海幸彦(うみさちひこ)、弟の火遠理命ほおりのみことは山の幸を採るために山幸彦(やまさちひこ)と呼ばれました。

ある日、自分も釣りをしてみたくなった弟の山幸彦は、兄の海幸彦に対して、「互いの道具を交換しませんか」といいます。

そして釣り道具を貸してもらった山幸彦は釣りを始めますが、借りた釣り針を海に落として失くしてしまいます。

このことを謝りに行った山幸彦ですが、海幸彦は怒って許してくれません。

山幸彦は500個もの釣り針を作って償おうとしましたが、許してもらえませんでした。


山幸彦が海辺で泣きながら途方に暮れていると、そこに塩椎神(しおつちのかみ)が現れて涙のわけを尋ねました。

すると塩椎神は小舟を作って、山幸彦を乗せました。

そうして山幸彦が船に乗って進んでいくと、綿津見神(わたつみのかみ)の宮殿に着きました。


そこで出会った豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)と恋に落ちて結婚をします。

山幸彦は宮殿で三年間楽しく暮らしていましたが、ふと「そういえば釣り針を探しに来たのだった」と思いだします。

綿津見神の協力により、鯛ののどに釣り針が引っ掛かっていることがわかり、無事釣り針を取り戻したのです。

そして綿津見神は「兄上が戦いを挑んで来たら、塩盈珠しおみつたまを出して溺れさせ、許しを請うてきたら塩乾珠しおふるたまで助けてやりなさい」といいます。

その通りにすると、兄は降伏して山幸彦に仕えるようになったのです。


さて一方、豊玉毘売命は山幸彦の子どもを身ごもります。

そして産屋を建てて「本来の姿で出産しますから、中を見ないでください」といいます。

しかし見てはいけない、といわれたら見てしまうのがお約束で覗いてしまうのです。

するとそこにはワニの姿になった豊玉毘売命が。

山幸彦は驚いて逃げてしまいます。

これを恥じた豊玉毘売命は、綿津見神のもとへ帰ってしまいました。


この時生まれた子どもは、の羽で屋根をいた産屋を造り終わる前に生まれたので、「鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」と名付けられました。

豊玉毘売命は、妹の玉依毘売(たまよりびめ)を送って、子育てをさせました。


その後、鵜葺草葺不合命はこの玉依毘売を娶り、四柱の神さまを生みました。

その四番目の神さまが、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)といい、後の神武(じんむ)天皇がここに生まれたのです。




ちなみに、邇邇芸命・火遠理命(山幸彦)・鵜葺草葺不合命を「日向三代(ひゆうがさんだい)」と呼びます。

九州南部には日向三代にまつわる神社が多く存在しています。



あとがき

ここまでが、古事記上巻の流れになります。

中巻は神倭伊波礼毘古命が東征を開始し、その後神武天皇として即位される話や、有名な倭建命(やまとたけるのみこと)の話が出てきます。


上巻だけでも、結構お腹いっぱいになったのではないでしょうか。

神社参拝をしながら少しずつ覚えていくといいかな~と思います。


皆様の今後の神社参拝がより楽しいものになりましたら幸いです。

今日もありがとうございました!




参考

神話のおへそ|神社本庁

古事記のこころ|小野善一郎

一番よくわかる古事記|谷口雅博

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