【東京|表参道~千駄ヶ谷】巨大な石灯籠なぜここに?/北斎が見た!江戸時代の渋谷/明治神宮の森のヒミツ

日本を歩く

こんにちは。サトウです。

今回は表参道駅から明治神宮周辺を散歩しました。

今回の動画

動画はこちらから。


ブログの方では、載せきれなかった情報も含めて掲載していきます。



表参道駅の巨大な石灯籠は何のため?

今回は表参道駅から出発です。

表参道駅を出ると、すぐ巨大な石灯籠があるのがわかります。写真だとイメージがつかないですが、実際に見てみるとかなり大きく感じます。5~6メートルくらいあるそうです。

問題:石灯籠と言えば、お寺や神社で見かけるものだと思いますが、なぜこんなところにあるのでしょう?

巨大な石灯籠。なぜこんなところに?




答え:もともとこの通りは明治神宮への参道だったから


駅名が”表参道”なのも、まさに文字通り明治神宮への表参道だったから、というわけです。



また、石灯籠の下を見てみますと、ちょっと黒っぽくなっていますね。

これは古びたから、、、ではなくて、空襲によるものだそうです。

昔この辺りは空襲で焼け野原になったのだそうです。

きらびやかな通りとなった現在ではそんな面影は一切ありませんが、このような歴史があったことも覚えておきたいですね。


華やかなメイン通りにいきなり現れる神社

石灯籠から、明治神宮に向かって少しだけ歩くと、右手に神社が現れます。

こちらは秋葉神社です。ここ数年で新しくなったそうです。

江戸時代(文政10年(1827))の創建で、稲荷大神・秋葉大神・御嶽大神(木曽の御嶽)をお祀りしているとのことです。

秋葉神社は全国にたくさんありますが、そのおおもとの神社(総本宮、総本社などという)は静岡県浜松市にある秋葉神社です(下の地図参照)。

ご祭神(お祀りされている神さまのこと)は、火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオミカミ)です。

その名前から分かるように、火を司る神様で、火伏の神として信仰されています。

火之迦具土大神(以下、カグツチと記載)の出生のエピソードはちょっと衝撃的です。

イザナミノミコトという神さまがカグツチを出産したのですが、なんせカグツチは火の神さまですから、イザナミノミコトは出産時に大やけどを負ってしまいます。それが元でイザナミノミコトは亡くなってしまうのです。

それで最愛の妻、イザナノミコトを亡くした夫、イザナノミコトは憎しみのあまりカグツチを斬り殺してしまうのです。

我が子を産んで亡くなった母。そして父に葬られたカグツチ。

少々複雑?な出生ですよね。

ちなみに、カグツチを斬り殺した時に飛び散った血から神様が生まれるなど、日本の神さまはユニークな生まれ方をします。ご興味があれば、古事記を読んでみるのもいいかもしれません。

古事記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 


ついでに言うと、古事記は読んだだけでは「ふーん、そんな物語なんだ」で終わってしまいます。このカグツチだって、なんで殺されちゃったの?という疑問だけが残ります。

「結局古事記は何を伝えたかったのか?その心は?」というところまでを伝えてくれているのが、小野善一郎さん(神社の宮司さん)の古事記のこころという本です。

この本に「わが子を斬って神が誕生するのはなぜか」という章があります。

こういったところまで知ることができると、古事記が単なる物語ではなく、日本人としての生き方や教訓として現代の私たちにおいても生き生きと伝わってくるのです。

古来の人たちは、いかめしい教訓を並びたてて人に教えようとするのではなく、物語として描き、物語を通じて後世の人に日本人としての在り方を伝えたかったのかなぁ、というのがなんとな~く伝わってきます。

なんだか先人たちに感謝、そして日本人としてしゃんと生きよう!みたいな気持ちがじんわりと芽生えてきたりしますよね😊

港区と渋谷区の区境が、こんな所に!

またメイン通りを明治神宮方面へ歩くと、ティファニーさんが見えます。そしてその先にApple Storeがあります。

住所を見てみると、ティファニーさんの住所は港区、Appleさんの住所は渋谷区になっています。

ここが区の境目になっているそうです。

なぜこんなところに境目が?というのは現在の私の知識では、、、わかりません。

わかったら、追記していきますね~

ただ歩いているとなかなか気がつかないかと思い、ご紹介しました。


穏田珈琲の「穏田」にはどんな意味がある?葛飾北斎も登場!

メイン通りからちょっと離れた通りに、穏田(おんでん)珈琲というカフェがあります。

この日は朝が早すぎて開いていませんでしたが、なぜこのカフェを通ったかと言うと「穏田」という名前にあります。

この辺りは昔、「原宿村」と「隠田(おんでん)村」という二つの村があったそうです。原宿の名前は地名としては残っていませんが、原宿駅という駅名で残っているので知らない人はいないですよね。

ただ隠田に関してはなかなか名前が残っておらず、その名前を使ったカフェというのが粋だなと思いご紹介しました。

下の写真が穏田珈琲さん。オシャレな建物に入っています。



ちなみに昔は「田」ではなく「田」という字を書いていたそうです。

隠田は葛飾北斎の富嶽三十六景『隠田の水車』という浮世絵にも登場します⇩

『隠田の水車』
引用:葛飾北斎 画 ほか『富岳三十六景 : 葛飾北斎傑作』,風俗絵巻出版協会,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1687426 (参照 2024-08-11)

この絵から分かるように、江戸時代には渋谷は農村だったんですね。そして富士山も見えた、と。

そして「渋谷川」も描かれています。今は暗渠(川の上に蓋をするような形で隠されてしまった水路)になっています。この渋谷川を利用して水車ができ、水事業がさかんになったとのこと。

そして徐々に江戸城に近い東側から武家地が広がっていき、都市と農村の二面性を持つことになったのが、江戸時代の渋谷という場所でした。


浮世絵は当時の姿を知るのにとても役立って楽しいのです。

今は見えない渋谷川の痕跡を発見!

さてメイン通りに戻りまして、今お話しした「渋谷川」の痕跡がうかがえる場所に到着しました。

ここに「参道橋」と書かれた石碑がありますね。つまりここには昔、参道に向かう道に橋があったことがわかります。橋があったということは、川があったということですね。

参道橋の石碑の奥に道がありますが、まさにここに渋谷川が流れていたのです⇩

水路のある場所に道を作るなどして、今はその水路が見えなくなってしまった場所を「暗渠(あんきょ)」といいます。

「なんかここは怪しい・・・暗渠か?」と疑わしい道に遭遇するのもまた、散歩の楽しいところです。


渋谷のナウマンゾウ

またしばらくメイン通りを歩くと、神宮橋が見えてきます。この橋を通ると明治神宮の鳥居が見えてきます。

神宮橋

ここで1971年、地下鉄千代田線の工事中にナウマン象の化石がほぼまるっと一頭分見つかったということで、当時話題になったそうです。

大都市渋谷に昔ナウマン象が闊歩していたなんて、想像するとおもしろいですね。


明治神宮の杜の秘密と、実は植林好きな日本人

明治神宮一の鳥居が見えました。ここから参道に入ります。

参道には気持ちのいい森が広がっています。

この森には秘密があります。

明治神宮が創建される前、ここ代々木の地は森どころか、何もないような荒れ地だったそうです。

なのに、今はこんな豊かな森ができている。

なぜでしょう?

・・・

答え:この森は人の手でつくられた、人工の森なんですね!

全国から献木され、100年先、さらにその先も人の手を加えずとも育つ「永遠の杜」として設計して森を造ったそうです。

時の総理大臣は、伊勢の神宮や日光東照宮のような荘厳な見栄えになるよう「杉を植えるべき」と主張したそうですが、杉は代々木の地には不向きであると専門家たちが説得し、照葉樹の多い構成になりました。

そういえば、日本人は縄文時代から植林をしてきたと言います。

古来から自然に神様を見出し、大事にしてきた日本人の特性が現れているような気がします。

ちなみに、日本人が”侵略した”といわれている東アジアの国では、現在緑豊かな土地となっている場所があるそうです。

それは日本人が軍も一緒になって植林をしたからなのです。

その土地の未来を見据えて、自然が豊かになるようにとの思いからでしょう。

そう考えると、日本は散々戦争で他国にひどいことをしたと言われていますが・・・

本当だろうか?と疑問が湧きますよね。


つまり、日本は他国を植民地にするつもりで戦争をしていたのではなかったんですね。

もともと日本人には征服し、略奪するという習性がないといいます。

例えば台湾は親日の国と言われますよね。今はもしかすると親日の人も減ってしまっているのかもしれませんが・・・しかし昔は親日の人が多くいたことは確かです。

昔日本は台湾を統治していましたが、親日の人が多いということは、日本の統治がよかったからなのです。

台湾人も、日本人も一緒になってよい国を造ろうとしてきたのです。

例えば仕事においても、優秀な人がいれば台湾人でも日本人でも重要な役職に就くことができたそうです。

植民地として現地の人を支配していたのなら、このようなことは起こりません。

こちらの本を読んでいると、それがよくわかります。

日本人はとても素敵だった|楊 素秋

日本は、侵略戦争をしたのではなかったんです。古来から自然を大切にし、和を重んじる日本人が他国を支配することはありえないことなんです。

日本が戦ったことで、日本は戦争に負けましたが、アジアの植民地が解放されるという結果を残しました。

欧米諸国はむしろ植民地を失うことになりました。こういう意味では日本は勝ったのかもしれません。


戦争について、犠牲になった方々のことを思うと軽々しいことは言えません。


ですが、私たち日本人は平和を重んじる、心優しい民族だということを思い出したいものです。

日本人として自信を持って、これからも皆で平和で豊かな国をつくっていけたら、すごくいいなと思うんですよね~


明治神宮のご祭神と、感動する明治天皇の御製

明治神宮にお祀りされているのは、明治天皇と昭憲皇太后です。

お二人の間には御子がお生まれになりませんでしたが、とても仲睦まじかったそうです。明治天皇は年上の昭憲皇太后を「美宮」「美宮さん」「あなた」と親しみを込めて呼びかけていたそうです。

明治天皇

明治天皇は明治維新、日清戦争、日露戦争と激動の時代を生きられました。ご苦労が絶えなかったと思います。

そしてどんな時も戦地に赴いた兵士たちのことを案じていました。

日露戦争時には、「戦地の兵士はどれだけ寒いことだろう」と冬はストーブを焚くことをやめられたそうです。また夏でも厚地の冬の軍服を着て過ごされていたそうです。

明治天皇は生涯で9万3000首ほどの御製*を詠まれたといいます。その中には兵士を思う歌も多く残されています。
*[天皇陛下が詠まれた歌のこと]

しぐれして 寒き朝かな 軍人いくさびと すすむ山路やまぢ(じ)は 雪やふるらむ

暑しとも いはれざりけり たたかひ(い)の には(わ)にあけくれ たつ人おもへば



そして明治天皇がいかに平和を望まれていたかがわかる御製がこちらです。

よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
(世界はみな同胞のように思っているのに なぜ波風が立ち騒ぐのだろうか)

これは日露戦争開戦前に詠まれた歌です。最後まで平和の道を模索していた天皇陛下の苦しさが伝わってくるようです。

また、明治天皇の素晴らしさが際立つエピソードもあります。

日露戦争での勝利後、乃木希典大将が、敗者側のロシアの総指揮官ステッセルらと対等に並んで写真を撮り、世界を驚かせたという話があります。

他の国であれば、敵を対等に扱うようなことはありえません。

これはもちろん乃木大将の意志でもあったと思いますが、やはり明治天皇が「敵を辱めてはいけない。敵の体面を保つように」とご命令されていたそうです。

そのことがわかる御製がこちらです。

国のため あだなす仇は くだくとも いつくしむべき 事な忘れそ
(我が国を護るためには敵は打ち砕かなければならないが、相手を慈しむことを忘れてはならない)

この天皇陛下という存在の素晴らしさ・・・

そしてこの思いは私たち国民にも大きく影響し、日本人が出来上がっているのだなと思います。現代に生きる私たちも、こういった心を忘れずにいたいですよね~

昭憲皇太后

昭憲皇太后は、並外れて優秀なうえに、心優しいお人柄だったそうです。

私だったら自分が頭が良くて優秀だったら、ちょっと天狗にもなってしまいそうなものですが(汗)、昭憲皇太后は周りの人への思いやりの暑さ、慈悲の心をお持ちの素晴らしい方だったそうです。昭憲皇太后にお仕えしていた女中さんたちはみな昭憲皇太后に会うと幸せな心地になったと話していたそうです。

また、宮中での養蚕を始められたのも昭憲皇太后です。現在でも皇后陛下が養蚕を受け継がれていらっしゃいますが、その始まりは昭憲皇太后だったのです。周りの女官たちは気味悪がって尻込みをしているところ、昭憲皇太后は自ら素手で蚕の世話をしていたそうです。

昔は日本の一番の輸出品は生糸だったことから、この事業を行うことに特別な思いがおありだったのかもしれません。

日本の偉人物語9 ―聖徳太子 昭憲皇太后 岡倉天心-


東郷神社のご祭神、東郷平八郎に世界が絶賛!

明治神宮の近くには東郷神社があります。

ここでは、東郷平八郎命がお祀りされています。

東郷平八郎といえば、日露戦争でバルチック艦隊を打ち破ったことで知られていますよね。

当時は日本とロシアが戦って万が一にも日本が勝つことはないと思われていた戦争だったのです。

そこで明治天皇から絶大な信頼を受けて戦ったのが乃木希典、そして東郷平八郎です。

お二人とも素晴らしい人物だったからこそ、部下が信頼して一丸となって戦った。それが勝利に結びついたのだと思います。


そして、この日露戦争の勝利は日本だけのものではなく、当時ロシアに苦しめられていたフィンランドやポーランドの人々も大いに勇気づけました。

フィンランドでは東郷ビールなるものが製造されたり、ポーランドでは「トーゴー」や「ノギ」という名前を子どもたちに付けたそうです。

それほど日本の勝利というのは世界に衝撃を与え、他の国の人の心を動かしたのです。

ちなみに現在東郷ビールは日本で生産されているとのこと。

また、ポーランドは知られざる親日国です。日露戦争での勝利に勇気づけられたことに始まり、その後はシベリアからポーランド孤児を救出したこともあるんです。

第一次世界大戦の際、ポーランドはロシアとドイツの戦場となってしまいました。その際、シベリアに逃げたポーランド人が多くいたのですが、シベリアの過酷な環境で餓死や病死などで多くの人が亡くなっていったそうです。

そんな過酷な環境にいる子どもたちを助けてほしいと、ポーランドはアメリカなどの列強に頼んだそうですが、どの国も助けなかったそうです。

そんな時、日本軍だけがポーランド孤児を救出しに向かい、765名の孤児を日本に迎え入れました。このことがきっかけで、ポーランドは今でも日本に感謝してくれていると言います。

私たちの素晴らしい先人たちがまいた種は、今でも確実に引き継がれているんですよね~ありがたいことです。

他国・他人のためを思って行動できる。そんな心を私自身も持つようにしたいものです。

ちなみに、東郷神社に変わった狛犬がいるな、、、と思ってみていました。

なんかエジプトとかにいそうな。それかちょっとマーライオンっぽいなと思っていたら、こちらは狛犬ではなく獅子だということでした。




もう一つ渋谷川の痕跡を発見!

次は原宿通りから一本隣の道に来ました。

原宿橋があったことがわかる石碑があります。

見えにくいですが、「原宿橋」と書かれています

ここにもかつて、渋谷川が流れており、橋が架かっていたことがわかります。

ちなみに渋谷川の水源は、新宿御苑にあります。またそのうち散歩してみたいと思います。



鳩森八幡神社で富士山登頂?!

次は鳩森八幡神社に行きます。

応神天皇(おうじんてんのう)と、神功皇后(じんぐうこうごう)がお祀りされています。

ちなみに、「八幡神社」や「八幡宮」は全国にたくさんありますが、「応神天皇」がお祀りされている神社です。

「誉田別命・品陀別命(ほんだわけのみこと)」などと呼ばれることもあります。

そして、応神天皇の母である神功じんぐう皇后も一緒にお祀りされていることも多いです。

他にも比売神(ひめがみ)や、応神天皇の父である仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)もお祀りされているところもあったりします。神社によって違いがありますので、訪れた際に確認してみるとおもしろいですよ。


富士塚

何といってもこの神社の特徴は、「富士塚」があることです。

富士山に見立てた、小さな山のことです。

江戸時代に富士山信仰が流行り、グループを作って富士山にお参りする「富士講」ができるようになりました。

富士山に行けない人でも身近な所でお参りできるようにと、人口の山を造り、富士山の神さまをお招きしたのが、富士塚です。

東京周辺には今も富士塚が残されているところが点在します。

すべての富士塚が登れるわけではないのですが、ここ鳩森八幡神社は登れるようになっています。

富士塚への入り口。

しかもちゃんと登山口、一合目、二合目、、などと表示があって、とても楽しいです。

登山口。
四合目。
山頂。

お子さんは喜ぶのではないでしょうか。(大人も一人で楽しみました)


今日のおやつはモンマスティー。ミルクティーと20円のマフィン

おやつと休憩がてら、鳩森八幡神社の向かいにある、モンマスティーというミルクティーのお店に行きました。

いつもは和菓子を買うのですが、今回は通り道に和菓子屋さんが見つからなかったのですよね。朝が早かったというのもありますが。

ここはイートインはなく、基本は持ち帰りのようです。ただ、お店の外に小さいベンチはありましたので、そこでいただきました。

私はモンマスティーの上にホイップクリームが載った、アイスウインナを頼みました。

これがかなりおいしかったです。普段ミルクティーを飲む習慣はなかったのですが、こんなにおいしいものか!と思いました。

さらに朝行ったからには、モーニングセットを頼まない手はありません。

アイスウインナが480円で、モーニングセットでかぼちゃのマフィンを頼んで会計すると「500円です」と言われました。

え、500円?

と驚いてしまいました。マフィン20円ですか?

20円といってもマフィンのサイズが小さすぎる、なんてオチもなく、しかもとてもおいしかったです。

モンマスティー、近所に会ったらいいな~!と思いました。



ゴール

最後はモンマスティーさんから徒歩5分ほど歩いて、千駄ヶ谷駅に到着して終了です。

表参道や渋谷の歴史、明治天皇の想いや、日露戦争で戦い日本を守った人たちのことなど、少しでも皆様の気づきになっていましたら幸いです。

ではまた次のさんぽでお会いしましょう。



ご覧いただき、ありがとうございました!

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