【千葉・佐原】利根川は存在しなかった?!/香取神宮と利根川の歴史/佐原の中高年のスター

千葉さんぽ

こんにちは、サトウです。

今回は、千葉県の香取神宮と佐原周辺を散歩しました。

動画

今回のさんぽ動画はこちらから。

【ルート】
香取神宮 一の鳥居
香取神宮
水郷佐原 山車会館
佐原の町散策
伊能忠敬旧宅

香取神宮 一の鳥居

まず香取神宮の一の鳥居を見に行きました。香取神宮の一の鳥居は二つあります。

一つは利根川沿いにあり、そちらの鳥居を見に行きました。香取神宮の神さま(経津主大神ふつぬしのおおかみ)はここから上陸したと言われているそうですよ。

ちなみに上の写真を流れているのは利根川。ですがここに利根川が流れるようになったのは、江戸時代以降。それまで利根川は東京湾方面に流れていたそうです。

江戸時代に、江戸の町を水害から守り、江戸と銚子間の交通路を確保し、新田開発を行うと言った目的で川の流れを変える普請を行ったのです(利根川東遷)。

これにより香取神宮への参拝者も増え、餓えの写真の一の鳥居から香取神宮までの道は宿場町として賑わいがあったそうですよ。

香取神宮

香取神宮は、神社好きはともかくとして、一般的にはあまり知られていないかもしれません。

しかし、鹿島神宮とともにかなり由緒正しき神社です。

今では「神宮」と名前の付く神社は数多くなりましたが、少なくとも平安時代には「神宮」と名前の付く神社は
伊勢の神宮
鹿島神宮
香取神宮
の三社しかなかったのです。

この三社を一年に一度は行かれた方がいいですよ、という宮司さんもいるほど格式ある神社になります。

そもそも香取神宮の創建は神武天皇18年。つまり、2,600年以上は前なのです。

伊勢の神宮は約2,000年前の創建ですから、伊勢神宮よりも古いんですね。

ちなみに鹿島神宮は、神武天皇元年の創建です。つまり、香取神宮よりも18年古いのです。すごい歴史ですよね。

私自身、神社に興味を持つようになってから知りましたが、この由緒正しさからするとなぜこんなに知られていないのだろう?と思います。

まぁ、学校でも習いませんから仕方ないのかもしれません・・・


日本酒『香取』

動画の中で『香取』という日本酒をご紹介しました。寺田本家という酒造メーカーさんで作られています。

このお酒のことを知ったのは、『発酵道』という本を読んだことでした。

著者は寺田本家さんの23代目当主、寺田啓佐てらだけいすけさんです。

この本は、本当に面白くてですね、発酵のことだけ書いてあると思ったら大間違いでした。

これは、人生について書かれた本です。

微生物に、人生を教えてもらっているような感じです。

今でこそ、無農薬、そして安全な材料で日本酒を作っている寺田本家さんですが、昔はそうもいかなかったそうです。大量に安く作ってとにかく売る、というようなお酒造りをしていたそうです。

そこから色々考え、悩み、「人の役に立つ酒を造る」という方向を見出したそうです。

それならばもっと進めて生命が喜ぶ本物の酒を造ったらどうなるだろう。その酒を飲んだら、いつのまにか健康になってしまう。楽しくなってしまう。幸せになってしまう。そんな酒を造ろうじゃないか。みんなに喜ばれる酒を造るのだ。自分の都合を捨て、会社の都合を捨て、ただただ飲んでくれる人たちの喜ぶ顔を思い描いて。

発酵道: 酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方|寺田 啓佐 より引用

いかに人に喜んでもらい、人の役に立つよう生きるか。

そういうことを徹底的に考える人は明らかにオーラが違うなぁと思うのですが、この方もそんな感じに思えます。

私自身を振り返ると、そこまでの生き方はできていないなぁと思います。でもこの本を読むたび、今の自分にできることは何だろうかと考えるきっかけをもらえます。

とっても良い本です😊

佐原の街並み

佐原は昔は北総の小江戸と呼ばれるほど栄えた地域です。それもやはり利根川東遷により水路が確立されたためです。車が主な交通手段になってからはかつてのような賑わいは姿を消しましたが、再開発がなされず、昔の江戸の街並みが残っている貴重な地域です。

当日は土砂降りだったので、写真だと寂しい感じがしてしまいますが、晴れの日には舟で街を巡ることもできます


伊能忠敬

動画の佐原の部分で、佐原のスターそして中高年の星として、伊能忠敬をご紹介しました。

伊能忠敬の名前と、日本地図を作ったことは誰しもご存じかと思いますが、具体的にどのような人物だったのか知る人はあまりいないのではないでしょうか。

動画が少しでもそのきっかけになっていただけたら嬉しい限りです。

伊能忠敬は、大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)を”作った”と言われていますが、この地図は1821年に完成しました。

しかし伊能忠敬が亡くなったのは、その3年前なんです。それがなぜかというと、お弟子さんたちが忠敬の死を伏せ、伊能忠敬の名前で地図を完成させるためだったというのです。

弟子がここまでしてでも伊能忠敬の功績を残したい、と思えるほど伊能忠敬は人間的にも優れた人物だったことがわかりますよね。

ちなみにこのエピソードを知ったのは、白駒妃登美さんの動画でした。この動画を見ながらウルっときてしまいました。他にもなぜ忠敬が日本地図を作ったのか、など心に響くエピソードが満載の動画です。


また動画中でご紹介しましたが、岡田幹彦さんの著書も伊能忠敬を知るのにとても良いです。

日本の偉人物語3 ―伊能忠敬 西郷隆盛 小村壽太郎―|岡田 幹彦



白駒妃登美さんの著書も、素晴らしいです。

人生に悩んだら「日本史」に聞こう|ひすい こたろう、白駒 妃登美



こういう偉人の話を聞くと、「私はそんな高尚な人とは違うから・・・」と気後れする人も、もしかしたらいるかもしれません。

でも私たちはこういった努力家な日本人のDNAを持っている訳ですから、偉大な先人たちを大いに誇りに思って「自分にもその力がある!」とパワーをいただいたらいいのだと思います。



もし気後れするという人は、自分に自信がなかったり自己肯定感がちょっと低いのかもしれません。

でも、人は皆ちゃんと力のある存在です。そして私たちは皆善い人間なんです。

少なくとも神道では「人は皆パーフェクト」という考えをします。

私も、そうだと思っています。

私たちはみんな、ちゃんと人生を前に進めていける力があるんですよね。

だから、こういった偉人の話を聞いても気後れすることなく、自分にもちゃんとできることがある、価値があると思って前に進む力にしたらいいだけだと思うのです。


こういっている私も、もともと「自分はダメ人間」と思って自己肯定感がゼロというか、振り切ってマイナス、みたいな人間だったので、偉人の話を聞くと「すごいな」と感動する反面、「私はこんなことできないし」「私はこの人と違って、ダメだから・・・」と思っていました。

それが自己肯定感が芽生えるにつれ、どんどん前向きになってきました。「自分には力がある、価値がある」と思える自分になると人生が変わって来るなぁと感じています。

今自信がないという人も、大丈夫ですよ。

あなたには、価値がありますから😊

散歩の話から、ちょっと壮大な話になってしまいましたが、また自己肯定感を上げるヒントについてもお話しできたらと思っています。

今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。また次回のさんぽでお会いしましょう。

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