こんにちは。サトウです。
先日、伊勢の神宮に参拝するため、三重県伊勢市に行ってきました。
ちなみに伊勢の神宮は内宮・外宮のお宮を含め、125のお宮から成り立っており、伊勢周辺にお宮が点在しています。
内宮・外宮以外にもいくつかのお宮を回ったのですが、一気にご紹介すると長くなってしまうので、今回は外宮・内宮を中心にご紹介します。
また先ほどから、伊勢「の」神宮という書き方をしていますが、伊勢神宮の正式名称は「神宮」なのでこのような書き方をしています。(ただし、ここからの文中では神宮と書いたり、伊勢神宮と書いたり混ぜています)
神宮を訪れた日は、小雨。しとしと降ったりやんだり、一時的にちょっと強めの雨になったりしました。「せっかく伊勢に来たのに晴れなかったなぁ・・・」とちょっとだけ残念に思っていましたが、残念に思うことなど全くありませんでした。
しとしと雨の早朝の神宮は、本当に良かったです。人も少なく静寂に包まれ、雨によってさらに美しさの増した神宮を参拝することができました。
雨は無くてはならないものなのに、ついつい「悪い」と思ってしまう。天気の「良い」「悪い」も結局人間が勝手に決めていることなのだなぁ・・・とふと思いました。
では、まず外宮から参拝してみましょう。
動画にまとめたものはこちらからどうぞ。
外宮
外宮は「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」が正式名称で、お祀りされている神さまは、豊受大御神(とようけのおおみかみ)。衣食住をもたらす産業の守り神です。
外宮が創建されたのは雄略天皇の御代。つまり今から1,500年ほど前です。
内宮は、それよりも500年ほど前に創建されています。
外宮が創建されて以来、朝と夕方の二回、神さまにお食事をお供えするお祭り(日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい))が行われています。神さまは一日二食なんですね~
そして内宮の神さまも外宮にいらっしゃって、御饌殿と呼ばれる神さま方の食堂でお食事をされるそうです。
その時に国家の繁栄、国民の幸せが祈られます。外宮が創建されて以来、約1,500年間ずっと続けられているそうです。
誰かが毎日毎日、私たち国民のことを祈ってくれている国って他にないのではないでしょうか?(あるのかな?知識不足でわかりませんが)幸運な国に生まれたなぁと思います。
ちなみにお祭り、というとお神輿が出て出店が出るような賑やかなものを想像するかと思いますが、そういうものだけではなく、神さまに毎日食事をお供えするのもお祭りなのです。
このお食事をお供えするお祭りは神宮だけではなく、他の神社でも行われています。神社によっては一般の人も参加できるところもあるようです(御日供祭などと呼ばれます)。
外宮で1,500年。内宮は2,000年の歴史、と考えると改めて日本の歴史の長さ、神社の歴史の長さを実感します。こうやって思いを馳せていると、とある神職さんの言葉を思い出します。
「神社がおままごとなら、とっくに無くなっていますよ」
私はこの言葉が非常に腑に落ちました。
私が生きてきたこの30数年は、信仰心とかそういったものが薄れている時代だったのではないかと勝手に思っています。私自身も、神さまなんていないし、目に見えないものは存在しないと思っていました。親とか兄弟もそうだったと思います。他の誰かとそういう話をすることすらなかったです。特に私は北海道育ちで、近くに神社もほとんどない環境で過ごしてきましたから、神社のお祭りに触れる機会すらありませんでした。大学、社会人と本州に行ってからも、神社の話を誰かとすることもありませんでした。
振り返って周りの人を思い出しても、神社と接点のありそうな人はいませんでした。
それなのに・・・現代でも神社は全国に8万社(それ以上ともいわれる)もあって、生きた信仰の場として存在し続けている。よく考えてみたら、なんでだろう?って思いました。
昔からあるから、というだけでは説明がつきそうにありません。ただ何となく、それこそおままごとのように続けているだけだったら「そんなものやめてしまえ」と、この長い歴史の中で誰かが廃止してしまったはずです。もしそうなっていたならば、今では神社は単に遺跡として、観光名所になっていたかもしれません。
しかし神社は、今でも神職さんがいて、神さまをお祀りしている場所として生き続けている。
やっぱり目に見えない何かを人は感じ取るからなのだろうか…と思いました。言葉では説明できない曖昧なものかもしれないけれど、体感として感じる、何かが。
現代では曖昧なものは嫌われ、「明確なもの」「数値で表されるもの」が求められる気がします。会社とかでもそうですよね。何でも「数値化」。
ただ現実世界を生きている以上、これは仕方ないことではあります。
ですが、せめてプライベートでは”目に見えないもの”、”ぼんやりしたもの”を「だめだ」「むだだ」「見えないものなど存在しない」と頑なに否定せず、「そういうのもあるのかもしれない」「はっきりしないことも、想像が膨らんでいいなぁ」と考えられると、人生が豊かになる気がしています。
余談が長くなりましたが、外宮の中にお邪魔してみましょう。
火除橋
最初に見えてくるのが火除橋です。江戸時代まではこの近くまで民家があったそうです。町で火事があった場合に防ぐ役割もあるそうです。
外宮は左側通行になっています。内宮は、右側通行。なぜなのか、はっきりした理由は分からないそうです。
ちなみに、よく神社では「真ん中を通るな」といわれます。神さまの通り道だからだという話をよく聞きますが、そうではなく上座と下座の考えを採用しているのだ、ということを本で読み、個人的には後者の方がしっくりきました。
鳥居、参道
森が美しく、言葉が出ません。
豊受大神宮
豊受大神宮の鳥居の手前までは写真が撮れるのですが(中は撮影禁止)、参拝に気合が入っていたためか写真を撮るのを忘れました汗。下の写真は、そのすぐ隣の古殿地の写真です。
古殿地というのは、前回の式年遷宮まで御殿が立っていた場所です。次の式年遷宮(2033年予定)では、次の御正宮はこちらに建てられます。
神さまには「荒御魂」と「和御魂」があるといわれます。「和御魂」は神さまの穏やかな側面、「荒御魂」は活動的な側面です。この「荒御魂」がお祀りされている場所がありますので、次はそこに行ってみましょう。
多賀宮
約100段の階段を登った先にあるのが多賀宮(たかのみや)。昔は高いところにあるから「高宮」と書かれていたそうです。ここに豊受大御神の荒御魂がお祀りされています。
土宮
多賀宮の参拝を終え、下に降りて「土宮」を参拝します。外宮の土地の守り神、大土御祖神が祀られています。
風宮
風宮には、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)がお祀りされています。元寇の際に神風を吹かせたという神さまです。内宮にも同じ神さまが祀られています。霊験あらたかな神さまです。
下御井神社
下御井神社です。正宮である豊受大神宮の奥には上御井神社があります。上御井神社に何か不都合があった場合に下御井神社が使われるそうです。
上御井神社のお水はいつもこんこんと湧き出ていて、これまでの大干ばつにも枯れたことがないそうです。
内宮
次は外宮前のバス停から内宮に向かいます。
内宮は「皇大神宮(こうたいじんぐう)」が正式名称です。
内宮の神さまは、天照大御神。皇室の御祖神とされており、歴代天皇陛下は天照大御神の子孫とされています。でも、天皇は神ではなく、人です。戦時中の一時期だけ、神として教育されてしまった時代があるようです。
そして天照大御神は、私たちの総氏神といわれています。つまり、祖先神、守護神という感じでしょうか。
そして内宮は垂仁天皇の御代の創建。つまり、2000年ほど前のことです。
ということは、それより以前は別の場所でお祀りされており、誰かがこの場所に天照大御神をお祀りすることを決めて、伊勢神宮ができたのです。このお話は、また次回にしたいと思います。
鳥居と宇治橋
鳥居と宇治橋が見えます。この鳥居は、式年遷宮時に御正宮(メインのお宮)に使われていた棟持柱を再利用したものだそうです。
宇治橋は、俗世と聖域を隔てている橋。つまり聖域への入り口となるのが、この宇治橋です。
宇治橋は式年遷宮までの20年間で、1億人以上が渡ります。草履で渡っていた昔とは違い、今はより摩耗が早くなっているそうです。時折、できてしまったデコボコを削ったりするため、20年間で5~6センチほど厚みが減るんだとか。20年がちょうどよい架け替えの時期にもなるそうです。
五十鈴川
宇治橋を渡って少し歩くと、五十鈴川があります。その手前の手水舎でお清めをしてもいいのですが、こちらで手を清めることもできます。
瀧祭神
五十鈴川に向かって左手に、瀧祭神(たきまつりのかみ)の祠があります。私は今回、行くのを忘れてしまいました(ショック)。
地元の人の中には、「とっつきさん」という愛称で親しまれている瀧祭神にご挨拶をしてから御正宮に行く人もいるそうです。なんでも瀧祭神は、御正宮の天照大御神との間を取り次いでくれるらしいのです。ここで「今から○○という者が伺います」というと、天照大御神に伝達(?)しれくれるのだそう。
是非皆さんも、立ち寄ってはいかがでしょうか。私は次回、忘れずに行きたいと思います。
正宮 皇大神宮
正宮 皇大神宮への鳥居が見えます。これ以降は撮影禁止です。
正宮を見た建築家ブルーノ・タウトはこう言ったそうです。
最初にこれを作った人の名も伝わらないこの建築はおそらく天から降ったものだろう
ブルーノ・タウトはもともと、伊勢神宮を「古代の遺跡」だと思っていたそうです。しかし今でも生きた信仰の場、聖地として存在していることに、驚いたそうです。
そしてさらにこんな言葉も残しています。
Here, in this Holy Place, I feel the underlying units of all religions.
この聖地において、私はあらゆる宗教の根底を成すものを感じる
また、上の写真では参道の途中にどどん、と大きな木が立っています。この木に関して、伊勢神宮の神職さんをされている吉川竜実さんの本から、日本らしさがうかがえるエピソードを知りました。
ある欧米のお客さまを案内し、この巨木の前に来たときのこと。その方は不思議そうな顔をして、こう尋ねました。
「エンペラ―(天皇)の祖先神を祀る参道の真ん中に、なぜこんなに大きな木があるのですか?普通は伐るでしょう」なるほど西洋ではそのような発想をするのかと、文化の違いに驚きました。たしかに参道の中央に大きな木があれば、人間は脇によけなければなりません。便利さや景観だけを考えれば、伐ってしまえという発想になるでしょう。
しかし、宮域では大切に守られている一つのルールがあります。木の伐採や植え替えはせず、できるかぎり「あるがまま」の状態を保つということです。
自然との調和と葉、人間の都合を優先して成し得るものではない。何より伊勢神宮の森は、日本という国全体を守る鎮守の森である。私たちはこう考えています。
いちばん大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる|吉川竜実
自然とともに生きるとはこういうことかと、考えさせられました。
荒祭宮
荒祭宮には、天照大御神の荒御魂がお祀りされています。
その左隣には、古殿地があります。
上の写真で階段途中にある大きな木も、伐らずに残してあるのですね。
大山祇神社
内宮の中から宇治橋に向かって歩き、宇治橋を渡らず左側の道を行くと、山の守り神、大山祇神(おおやまつみのかみ)が祀られている大山祇神社があります。
子安神社
子安神社は、大山祇神社の隣(手前側)にあります。大山祇神の娘、木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が祀られています。
神宮の森
参拝を終え、宇治橋に戻ってきました。宇治橋からは神宮の森がよく見えます。神宮の森は、世田谷区とほぼ同じ面積を持つ、広大な森です。
室町時代からそのままの自然が残る区域もあり、600年以上も明確に自然が保たれている森は世界のどこにもないそうです。
神宮ではまた、未来に続く森づくりのため、毎年ヒノキを植林しています。今植えたヒノキが使われるのは200年後。今これを読んでくださっている方は、誰も生きていないですね。未来の人たちが、大事に使ってくれることでしょう。
今使われているヒノキは江戸時代の人たちが植え、代々管理されてきました。今行動することが、未来につながっている・・・というのを目の当たりにしました。
また神宮は戦後、GHQが仮に神宮を廃止しろといえば、廃止された可能性もあるそうです(仮の話です)。実際「神宮にこんなに広い面積はいらないだろう」と言われたことはあるそうです。
(中略)「こんなに広い道はいらないね、それにこれほど広い面積はいらぬだろう」と言い出す。昭和二十一年のこと、当時は占領軍の指令一本でどうにでもなり、神宮も廃止にされる心配があってびくびくしていたのである。杉谷さんは咄嗟に「この宇治橋の真ん中に立って見渡せる範囲の神域だけは、なんとしても自然環境の保全のために必要だから残していただきたい」と答えたら「OK」となったそうだ。実はこれが皇大神宮のすべての面積にあたる
伊勢神宮 知られざる杜のうち|矢野 憲一
神宮を参拝できることは、当たり前じゃなく、先人たちが必死になって守ってきたのだなぁと、感謝の気持ちになりました。
おはらい町
参拝後の楽しみは、おはらい町を歩くことですね!
おはらい町途中にある下の写真の建物は、神宮祭主職舎といい、神宮の祭主さんが滞在する施設です。昔は慶光院というお寺でした。
実は神宮の式年遷宮は、戦国時代に120年ほど途絶えていました。遷宮を復活させたいと立ち上がったのが、慶光院の尼僧である清順という人です。女性の身でありながら諸国を回って寄付を集めました。神宮側は尼僧の力を借りるべきではないと断ったそうですが、荒廃した神宮をこれ以上そのままにはしておけないと、のちに承諾しています。
女性の身でありながら諸国を回って寄付を集めた清順に、天皇、そして織田・豊臣氏も感銘を受けたそうです。そして徳川家康も神宮の運営費などを支援しています。
異なる宗教同士、協力したという歴史があるんですね。
ちなみに、もともと僧侶さんたちは神宮に行っても普通の人と同じ場所では参拝できなかったといいます。神道は死を穢れと考えます。お坊さんはお葬式などで死に接していることが多いというのが理由だそうです。
松尾芭蕉が伊勢神宮に行った際には僧侶のようないでたちだったので、僧侶と間違えられて「私は僧侶じゃない!」と叫んだとか、そうでないとか・・・
へんば餅
さて、朝9時開店のへんばや商店さんにおじゃまし、へんば餅をいただきました。
店内飲食で2個で180円。
朝一番乗りで、だれもいませんでした。ゆっくりいただきました。
ちなみにへんば餅の「へんば」とは、昔馬でやって来た人がへんばや商店さんの本店で降りて、馬を返却したことから「返馬」⇒「へんば」となったそうです。
あとがき
私にとっては10年以上ぶりの伊勢神宮参拝でした。昔訪れた時は、どんな神さまが祀られているかも知らずに、観光気分で参拝に行っていました。そのため、行ったことは覚えているのですが、あまり記憶がありません・・・汗
神宮で神聖な空気を感じるということも、なかったかな~と思います・・・
今回は、昔とは違う、思い出に残る参拝となりました。
伊勢神宮は20年ごとに式年遷宮で新しく社殿を立て替えます。創意工夫は加えず、そのままのものをつくっていきます。ですから、私たちは古代と同じ姿の社殿を参拝できるのです。これは世界的に見ても非常に珍しいそうです。
どれだけの努力がなされてきたのでしょうか。私には想像にも及びませんが、今神宮があるのも当たり前ではないんだなと思うきっかけとなりました。
これからも、神宮はじめ日本にある良いものがあり続けてほしいと強く思っています。自分には何ができるだろう?と考えています。
そして、神宮の歴史を知ってしまったからには、125社ある他のお宮にも参らずにはいられません。
ということで次回は、伊勢神宮の創建に大いに関係がある人がお祀りされている”あるお宮”へと行きます。
また次回、お会いしましょう。ありがとうございました。
参考
伊勢神宮の神職さんである吉川竜実さんが書いた本です。神道ってこんなに自由で柔軟で、優しいんだ、ということがわかります。
「神道」と聞くと、「宗教の話か?」と身構える人もいらっしゃるかもしれませんが、全然そういうことではありません。そもそも神道は、普通の宗教と違って経典もなければ教祖もいないし、勧誘もないです。神社に行って「神道に入りませんか?」なんて、聞かれたことないですよね。日本人だからといって、神社に行かなければいけないわけでもないし、何か強制されることがありません。
しかも日頃意識しなくても、私たちは神道の考え方を自然に取り入れて生活しているのです。そのことが、この本を読むと知識として頭の中に入ってくる感じです。
それと、私が神道の考えで好きなところは「人は皆、完璧な存在だ」ということです。もし自分が完璧だと思えない、という場合は”罪穢れ”が溜まっている状態なだけであって、それを祓い清めればもとのパーフェクトな状態に戻れる、という考えです。
とある人は『究極の性善説』と表現していました。
私はもともと「自分は悪い人間だ、罪深すぎる人間だ」と思って生きてきました。辛い思いをすることが多いのも、前世で何か悪いことをしてきたに違いないから、その罪を償わされているのだ、と思って生きてきました。
でも、この神道の考えを知って「私は、悪い人間じゃなかったのか。それどころか、完璧らしい・・・」と驚きました。もしかしたら、前世というものがあって、そこで悪いことをしてしまったのかもしれません。でもそんなことは今の自分に知る由もありません。だったら「自分はパーフェクトだけど、日常生活で罪穢れが溜まっているだけなのだから、日々の生活を見直して、善く生きるようにしよう」と前向きになりました。
自分が悪い人間、と考えている時はすべてがうまく行きませんでした。どこに行っても、何をしても、虚しい。自分に足りないものばかりに目を向けて、他人をうらやんだり、自分を責めたり、こんな自分大嫌いと思って過ごしていました。
でも、自分はもともと善い人間なんだ!と思ったら、どんどん前向きになれます。「自分はもう、十分色々なものを持って生まれてきたんだなぁ。それを生かして生きよう」とさえ思えるようになりました。
今は、自分を嫌いだなんて思うことすらなくなってしまいました。見える世界も、180°変わってしまいました。以前は「この世の中は、嫌なところだ。意地悪な人ばっかりだ」と思っていました汗。でも今は「この世界も、なかなかいいな」と思います。時には嫌になることもあるけれど、根本の考え方が「この世界も悪くない、むしろ素晴らしいのかも」というように変わってきました。まだまだ修行中ですが・・・
「いやいや、人間がそんな完璧なわけないじゃん・・・」と思って生きることもできます。でも、私は「人はパーフェクト」という考えを採用し、自分の生活に取り入れるようにしました。
自分で選ぶと、世界が変わる。
そんなことを実感している日々です。
こちらの本は、伊勢神宮を知るうえで大いに役立ちました。今回ご紹介した色々な知識も、実はこちらの本をかなり参考にさせていただきました。神宮マニアに近づきたい方は、是非読んでみてください!
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