こんにちは。サトウです。
今日の雑談は【神話を知ると、参拝は100倍楽しい~古事記 上巻その2~】です。
前回の神話を知ると参拝は100倍楽しい【古事記 上巻その1】では、天と地が別れて神さまが現れるところから、須佐之男命の八岐大蛇退治までをご紹介しました。
今回は、あの有名な出雲大社(いずもおおやしろ)の神さま、大国主命の登場です。
稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)
稲羽の素兎は有名な話なので、なんとなくでも聞いたことがあるかもしれません。
ある兎さんが淤岐島から稲羽に渡るために、ワニをだますのですね。
ウサギとワニでどちらが数が多いか数えない?
この島から向こう岸まで並んでくれたら数えてあげるよ
と言ってワニを並ばせて、その背中を渡って向こう岸まで渡るのです。
しかし、渡り切る時に
だまされたね~
というようなことを言ってしまうのですね(言わなきゃいいのに)。
そしたらワニが怒ってしまって、毛をむしり取られ丸裸にされてしまったのです。
ちなみに素兎とは毛のないウサギを指します。
そうして泣いて悲しんでいたところ、大国主命の兄たちが通りかかります。
兄たちは海水を浴びて風にあたると楽になる、とウサギに伝えます。
しかし、そうしたところさらにひどくなってしまったのです。
その後に、大国主命がやってきます。
大国主命は、いくつもの試練を乗り越えて国を治める貴い神さまとなったのですが、それ以前の名前を大穴牟遅神(おおなむじのかみ)といいます。
この大穴牟遅神は、兄たちが八上比売という神さまに求婚するために同行し、荷物持ちをさせられていたのです。
ウサギを見た大穴牟遅神はかわいそうに思い、真水で体を洗って、蒲の穂を敷いてその上に寝転がれば元通りになるだろう、と教えてあげます。
その通りにすると、ウサギの身体は元通りになりました。
実はこのウサギは、兎神(うさぎがみ)と呼ばれる神様でした。
そして大穴牟遅神に
八上比売はあなたの兄たちの求婚はうけません。あなたを選ぶでしょう。
と言いました。
そして、この予言は当たったのです。
ちなみに鳥取県の白兎神社には、この兎神がお祀りされています。
大穴牟遅神の死
八上比売が、大穴牟遅神と結婚すると言ったことで、大穴牟遅神の兄たちは怒ります。
そして大穴牟遅神を殺してしまうのです。
赤い猪を追い落とすからお前は下で待ち受けていろ、と言って、真っ赤になるまで焼いた石を落として大やけどを負わせる)。
しかし、大穴牟遅神の母神が高天原(天上の世界)の神産巣日神に頼んで生き返ることができたのです。
神産巣日神:造化の三神のうちの一柱(前回参照)
その後も兄たちに狙われ、今度は大木を切り裂いた隙間に挟まれて死んでしまうのです。
また生き返ることができたものの、また命を狙われるため、須佐之男命がいる根の堅州国に行くことになりました。
兄たちは根の国までは追いかけてこられなかったそうです。というのも、根の国に行くのは命がけ。
大穴牟遅神は命を懸けて向かうことができましたが、兄たちにはそこまでの覚悟はなかったのです。
試練の連続
そうして根の国に到着した大穴牟遅神は、出迎えてくれた須佐之男命の娘の須勢理毘売と目と目が合っただけで心が通じ合い、結婚したのです。
そして須佐之男命は、大穴牟遅神に試練を与えます。
蛇の一杯入った部屋に寝させられたり、むかでと蜂のいる部屋に入れられたりしたのです。
毒を持っていると思われるので、生死に関わる試練ですが、須勢理毘売のフォローによって試練を乗り越えました。
次に須佐之男命は野原に矢を放ち、大穴牟遅神に取ってくるように言います。
大穴牟遅神が矢を取りに向かうと、野原に火を放ち、焼き囲みます。
今度は須勢理毘売も手を貸すことができません。
しかしここでも助け船が。
ネズミが来て、「内はほらほら、外はすぶすぶ」⇒「穴の内側はぽっかり空いていて、穴の入り口は狭い」と洞穴の場所を教えてくれたのです。
そこに隠れて、助かることができました。
まだ次の試練があります。
今度は須佐之男命は大穴牟遅神に自分の頭の虱を取るよう命じたのです。
実際に見てみると、頭にはムカデがたくさんいたといいます。
ここでは須勢理毘売がまた手助けをして乗り越えました。
そして須佐之男命が寝てしまったところでその髪を木に括り付け、大穴牟遅神と須勢理毘売は一緒に逃げるのです。
追いかけてきた須佐之男命は、大穴牟遅神に向かってこう言います。
「お前の持ちだした太刀と弓矢でお前の兄弟たちを追い払ってしまえ。そしてお前が大国主神となり、須勢理毘売を正妻として、宇迦の山(出雲大社の東側にある山)に立派な宮殿を建てて住め。」
こうして、須佐之男命は大穴牟遅神と須勢理毘売を送り出したのです。
そして大穴牟遅神は大国主神となり、国づくりを始めたのです。
須佐之男命がなぜ試練ばかり与えたかというと、大穴牟遅神を国造りという大業を成し遂げられる神さまだと見抜いており、鍛え上げるためだったのだ、という考え方があるそうです。
少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と国造り
大国主神が出雲の美保の岬にいらっしゃったとき、親指ほどの大きさの神さまが船に乗ってやってきました。
前回出てきた造化の三神の一柱、神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子の少名毘古那神です。
親指ほどの大きさだったので、一寸法師のモデルとなった神さまでは?といわれています。
そして神産巣日神から「お前たちは兄弟となり、国造りをしなさい」と言われます。
こうして大国主神と少名毘古那神は国造りを始めるのです。
古事記からはちょっとずれますが、播磨国風土記という歴史書の中に、ちょっと面白い話があります。
播磨国というのは、今の兵庫県の南西部辺りを指します。
この二柱の神さまが、がまんくらべをするのです。
それがちょっとくだらなくて笑えるのですが、
少名毘古那神が「粘土(埴)を背負って歩くか、ウンコを我慢するのは、どちらが遠くまで行けると思う?」と大国主神に聞いたのです。
大国主神は「ウンコを我慢する方かな。」というので、少名毘古那神は小さい体で大きな粘土を背負って歩くことになりました。
少名毘古那神が大変そうにしているのを笑って見ていた大国主神ですが、何日か経つと大国主神もお腹が苦しくなってきます。
そして神崎郡、という土地に着いたところで我慢できなくなった大国主神は、、ブリブリっと勢いよく出してしまうんですね。
それの勢いがよくて、ものが笹にあたってはじきとばされたので、その土地は初鹿野(はじかの)と呼ばれるようになったといいます。
一方で、少名毘古那神も限界がきて、粘土(埴)を道に投げ出してしまいます。それでその土地は埴岡里(はにおかのさと)と呼ばれるようになったとか。
そして二柱は「いや苦しかったな」と言い合って大笑いした・・・というほのぼのした話があります。
余談まで。
さて、古事記の話に戻りますと、二年間ほど一緒に国造りをした二柱ですが、ある日少名毘古那神は常世へ去って行ってしまったのです。
大国主神は「これからどうやって一人で国造りができるだろうか」と心配していると、海の向こうから海上を照らして近寄ってくる神さまが現れます。
その神さまは「私の御魂を丁重に祀ってくれたなら、一緒に協力して国造りをしましょう」と言います。
そこで大国主神はこの神を御諸山(三輪山)にお祀りしたそうです。
奈良県桜井市に大神神社(おおみわじんじゃ)と呼ばれる神社があります。
この神社が、まさにこの神話に由来する神社であり、三輪山を御神体としてお祀りしています。
ご祭神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」。つまり、今出てきた神さまです。
相殿には大己貴神(おおなむちのかみ、大穴牟遅神・大国主神と同じです)と少彦名神(すくなひこなのかみ、少名毘古那神と同じ)がお祀りされています。
このように神話を知ると、神社になぜこの神さまが一緒にお祀りされているのかがわかることがあって、おもしろいですよね。
国譲り
大国主神が国を繫栄させたあとの話です。
天上の神さま(天つ神)である天照大御神は「地上の国(豊葦原の水穂国)は私の御子が治める国である」と宣言します。
そうして地上の神さま(国つ神)から国の統治を譲ってもらう、という話です。
これが「国譲り」といわれる神話です。
しかし、そう簡単に地上の神さまが国を譲ってはくれません。
何度も天つ神を地上に派遣しては失敗し、何年も国譲りは実現しませんでした。
ある時、天照大御神が「今度はどの神を遣わせたらよいか」と神々に相談したところ、建御雷神(たけみかづちのかみ)を遣わすことになりました。
そして天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神のお供に付けて、地上へ遣わせました。
ちなみに、日本書紀では武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)を遣わせたと記載されています。
この三柱のご祭神は、「東国三社」と呼ばれる茨城県と千葉県にある三つの神社にお祀りされています。
・建御雷神(武甕槌神) ⇨鹿島神宮(茨城県)
・経津主神 ⇨香取神宮(千葉県)
・天鳥船神 ⇨息栖神社(茨城県)
「東国三社参り」といって、伊勢神宮の参拝後にこちらの三社をお参りするのが江戸時代に流行ったそうです。
現代においてもパワースポットとして注目されていますね。
鹿島神宮、香取神宮、というのはあまり知られていないのではないかと思うのですが、実はとても由緒ある神社です。
初代天皇である神武天皇の御代に創建されたといわれていまして、つまり2600~2700年ほどの歴史があるということになります。
現在は「神宮」と付く名前の神社は全国に存在するようになりましたが、平安時代頃には「神宮」は伊勢の神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社のみでした。
別格の神社といえると思います。
さて話を戻して、建御雷神は、出雲国の伊那佐の小浜(現在の稲佐浜)に降り立ち、十拳剣を抜き、剣先を上にしてあぐらをかいて座り、大国主神を呼び出しました。
そして建御雷神は、「天照大御神は”この国を我が子孫の治めるべき国である”と仰せになった。あなたの考えはどうなのか。」と問います。
大国主神は「私は答えられませんが、私の子の事代主神(ことしろぬしのかみ)が答えるでしょう」と言いました。
呼び出された事代主神は「天つ神の仰せの通りにいたします」と従うことを決めました。
次に建御雷神は「ほかに意見のある子はいるのか」と大国主神に問うと、「建御名方神(たけみなかたのかみ)がいます。それ以外にはおりません」と答えます。
力自慢の建御名方神は、どうやら国譲りに納得していない様子。
建御雷神に力比べを挑みます。
そして建御名方神は建御雷神の手を握ると、建御雷神の手は氷の柱になり、また剣の刃に変化したのです。
また、逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、建御名方神は軽々と投げ飛ばされてしまいました。
恐れをなした建御名方神は、逃げ去ってしまいます。
建御雷神は、建御名方神を信濃国(長野県)の諏訪湖まで追い詰めて殺そうとしたのです。
しかし、建御名方神は「葦原の中つ国(出雲のことを指す)はお譲りします」といって、建御名方神はこの信濃国にとどまることになりました。
この建御名方神をお祀りしているのが諏訪大社です。
そして全国の諏訪神社はこの諏訪大社から勧請(神さまの御魂を分けてもらうこと)されているので、諏訪神社では建御名方神がお祀りされている、ということになります。
そうしたあと、建御雷神は大国主神に「あなたの子どもは天つ神に従うこととなった。あなたの心はどうなのか」と問います。
大国主神は「仰せの通りにお譲りします。ただし、高天原(天上の世界)に届くほど高く立派な宮殿を築いて私を祀ってほしいのです」とおっしゃり、その宮殿にお隠れになりました。
これが出雲大社の始まりといわれています。
こうして、やっと国譲りが成功したのです。
あとがき
古事記上巻は、まだ少し続きますが、少し長くなったので今回はこの辺で。
次回はついに、天つ神が地上に降りてくる大事な場面です。
神話を知ると、そこに由来した神社や土地が各地に点在することがわかってきて、参拝に行きたくなってくるものです。
それが面白くて、神社参拝がやめられなくなる日がやってくる!?かもしれません。
楽しんで学んでまいりましょう!
では次回が古事記上巻の最後になるかと思います。
本日もありがとうございました!
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