こんにちは。サトウです。
今回は、鹿島神宮とその周辺を散歩してきました。
動画
今回の動画はこちらです。
鹿島神宮について
鹿島神宮は茨城県鹿嶋市にあります。
鹿島神宮の創建は、神武天皇元年。つまり、2024年現在で2684年前ということになります。
凄い歴史ですよね。
東北大学名誉教授の田中英道先生は以下の本で、この神社が日本で最初の神社だとおっしゃっています。
日本とユダヤの古代史&世界史 – 縄文・神話から続く日本建国の真実 –
そんな由緒ある鹿島神宮ですが、意外と知られていないのでは?と思っています。
今では「神宮」と名前の付く神社は色々とありますが、もともと「神宮」と名前の付く神社は伊勢の神宮、香取神宮、そして鹿島神宮しかなかったのです。
平安時代につくられた延喜式神名帳(神社リストのようなもの)にそう書かれているのです。それだけ由緒ある神社だということですね。
今後はもっと知られていくのかなとは思いますけれど・・・
どうして日本が長く続いているのか
動画のあとがきで、やたら天皇について語ってしまって「この人アブナイ人かな」と思われたかもしれませんが、本当に私は右翼でもなんでもなく、一般国民です。
ただ、天皇という存在があるからこそ、日本という国がこうして続いてこれたのだと、最近は本当に思うのですよね。
というか、天皇がいなくなったら、日本は日本でなくなってしまうのです・・・
天皇は権力を持たず、権威がある存在です。
それはつまり、権力を持たない天皇の元に権力者がいる、というとても変わった構図です。
普通は、トップの人間=権力者ですよね。
でも日本は権力を持たない天皇がいてくださる。権力者(今でいうと内閣総理大臣)はあくまで天皇の元で、国を治める権力を行使する。歴代の将軍にしてもそうですよね。
その天皇は、国民を「宝」と思って大切にしてくれている。そんな天皇を国民は自然と尊敬するという目に見えないけれどありがたいシステムができあがっているのです。
そして仮にですが、権力者が天皇を滅ぼそうなどとしたものなら、国民が黙ってはいないので、そういったクーデターのようなことも起きない、という構図になっています。
国民が天皇を信頼し、尊敬していたことがわかる一つのエピソードがあります。
それは京都御所での話です。昔天皇は京都御所にお住まいになっていましたが、その京都御所は堀や石垣もなく、攻め込もうと思えば攻め込めてしまうような無防備な作りだそうです。
それでも国民が天皇を襲いにかかる、というような事態は日本の歴史上、一度も起こらなかったのです。
それはひとえに天皇と国民が信頼関係で結ばれていたからだと思うのです。
江戸時代の天明の大飢饉の際には、将軍のお膝元である江戸では打ちこわしが起こったのに、京都御所ではまったく様子が違ったと言います。
国民は天皇に救いを求めて京都御所まで参拝に訪れたのです。最大で一日7万人がきたといいます。
当時、朝廷の力が弱く、天皇に国民を救う手立てはないと思われたのですが、若干17歳の光格天皇は民のために幕府に対して米を放出できないかと申し入れたのです。
これにより、幕府は実際に米の放出を行い、結果的に民衆を助けることにつながりました。
これは非常に異例なことだったと言いますが、そもそも将軍は天皇に任命されて存在している訳ですから、幕府が何もできないときにこそ、人々は天皇が主君であったと気がつかされるのです。
そしてそんな天皇がいらっしゃる歴史が、まさに日本の歴史なのです。
もし天皇がいなくなったのならば、日本という国は名前は残っても、中身は空っぽの国になってしまいます。もしかすると独裁者が現れるかもしれません。
いや、本当にそうなるかもしれませんよね。実際に、皇族の方の数が減ってしまっており、跡継ぎの問題も抱えています。本当に天皇が日本からいなくなってしまう時代が来てしまうかもしれません。
そう考えると、恐ろしいです。
私たちはあまりこういったことを話し合うことがありませんけれど、一人一人が考えていかないと手遅れになるのではないかと思っています。
今日本は「平和」と言われています。なんとなく、それが当たり前のように思って過ごしてしまっています。でも当たり前ではなく、この天皇がいらっしゃる日本のシステムを、先人たちが必死に命を懸けて守ってきたのですよね。
今の日本があるのは、当たり前じゃなかった。先人たちが守ってきたんだ、と歴史を学ぶたびにそう思います。
なので先人たちに感謝して、私たちもこの国を守り、もっと豊かで平和な国になるように行動できたら・・・
日本はもっと元気になる!と勝手に思っています。
いや、暑苦しくてすみません😅
また次回のさんぽでお会いしましょう。ありがとうございました。
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